百怪風景

妖怪・怪談の紹介と考察を行うブログです。

市松人形

 そろそろ九月も中盤に差し掛かり、少しずつ過ごしやすい気候になってきました。よって、実話怪談シリーズもここで一区切りとさせていただきます(しばらくは妖怪の紹介と考察に戻る予定です)。今回はとりあえず最後、ということで筆者の体験談を掲載したいと思います。

 

 ただし。

 

 体験談といっても、そもそも現実に体験したことなのかわかりません。おそらく六歳頃のことなので、記憶は時の褶曲によって、非常に曖昧になっていますし、大幅に改変されている可能性もあります。それどころかもしかすると単にその頃に見た夢だったのかもしれない、ということを先にお断りしておきます。

 

 筆者は日本の市松人形があまり好きではありません。実を言うと怖いのです。もちろん、市松人形を見ることも触ることできます。そこまで強烈な恐怖や拒否感を覚えているわけではありません。最近では可愛らしい市松人形も増えてきていますし、そういう人形であれば少し欲しいとさえ思います。それでもあのおかっぱ頭に着物を着た一般的な市松人形だけはどうしても慣れないのです。

 

 実際のところ「市松人形が怖い」という人は多くいらっしゃるようです。あの白目がない真っ黒な目に無機質な微笑、人をかたどっているにも関わらず決定的な無生物性を感じさせる立ち姿…市松人形には多くの人の恐怖を喚起する属性が備わっています。それはほとんど生理的な恐怖に近いと言えるでしょう。

 

 しかし、筆者が市松人形を厭うのは、そうした先天的で生理的な理由のためではありません。ただ単純に、幼少期のある体験が理由なのです。

 

 当時、筆者はまだ六歳で、補助輪が外れたばかりの自転車に乗って様々なところへでかけていました。まぁ方向音痴なのでそれほど遠いところへは行けませんでしたが、とりあえず迷いようがないようにひたすらわかりやすい道だけを選んで、何十分も自転車を漕いだものです。

 

 そしてある日、いつものように自転車を漕いでいるとガラス張りのファミリーレストランの前を通り過ぎました(定かではありませんが、たしかどこかのロイヤルホストだったような気がします)。

 

 そして、その時、ふと視線の端で捉えた店内の様子に、強烈な違和感を覚えたのです。違和感の正体を確かめたくなった筆者は、もう一度レストランの前に戻りました。違和感の正体はすぐにわかりました。窓際のテーブル席に座って向き合っている二人組の客が異様に小さいのです。

 

 よく見るとそれは二体の市松人形でした。自転車に乗って店内を見つめる筆者のすぐ向こうには、ガラス一枚を挟んで市松人形が向かい合っていました。

 

 はじめは誰かの忘れ物なのか、と思いました。けれども、当時の筆者は、少なくとも六年間の人生経験の中で、市松人形をレストランに持ってくる人なんて見たことも聞いたこともありませんでした(もちろん大人になった今でも見たことはありません)。

 

 不思議に感じながらも、「でもまぁそんなこともあるのかな」と思って立ち去ろうとしたその時でした。

 

 凄まじい速度でその二体の市松人形の首がキッ、と回り、こちらを見たのです。

 

 そして次の瞬間、二体の人形は「カンッ」という音を立てて、ガラスにへばりつきました。

 

 筆者は大声をあげて泣き叫び、全速力で自転車を漕いで家に帰りました。

 

 まぁ普通に考えればありそうにない話です。単にトラウマになるほど怖かった夢の記憶が、いつの間にか現実の体験として再記憶されていただけなのだとは思います。それとも、よく見えなかっただけで、椅子の下には誰かが隠れていて、人形を使って外を通る人を脅かしていただけなのかもしれません。合理的な解釈自体はいくらでも可能です。

 

 しかし。

 

 それ以来やはり市松人形だけは怖いのです。