百怪風景

妖怪・怪談の紹介と考察を行うブログです。

火消婆

f:id:hinoenma:20220206150203j:plain

鳥山石燕『今昔画図続百鬼』)

 

「火消婆」

それ火は陽気なり。妖は陰気なり。うば玉の夜の暗きには、陰気の陽気にかつ時なれば、火消婆もあるべきにや。

鳥山石燕『今昔画図続百鬼』)

 

 まずはじめに長らく更新が滞っていたことをお詫び申し上げます。昨年の九月以降、仕事の方が非常に忙しく(ありがたいことです)、ブログの更新をしている余裕がありませんでした…。新年の挨拶も遅れてしまいましたが、今年もどうぞ宜しくお願いいたします。亀更新ではありますが、今後ともこのブログは続けていく予定です。

 

 さて、本日ご紹介させて頂くのは火消婆という妖怪です。この妖怪は、鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』に描かれた妖怪で、石燕の絵を元に作成された鍋田玉英の『怪物画本』では「ふっけし婆々」という名前になっています。水木しげる先生の著作では、「吹消婆」と記載されることが多いため、そちらの名前に馴染みがある方の方が多いかもしれません。

 

 『今昔画図続百鬼』によると、「夜は陰気が勝つ時間帯であるので、陽気である火を消す火消婆のような妖怪がいてもおかしくはない」とのことで、この説明文のニュアンスからも、おそらく石燕の創作妖怪なのでしょう。

 

 石燕は頻繁に遊郭を揶揄した妖怪を創作しています。たとえば、高女や毛倡妓、泥田坊といった妖怪などがそうした妖怪だと考えられています。そして、筆者としてはこの火消婆もまた、そうした遊郭を揶揄する妖怪の一種なのではないか、と考えています。

 

 このブログでも度々言及してきたように、かつて油というものは非常な高級品でした。石燕の生きた江戸時代では、夜の闇の濃さは今の比ではありませんでした。そんな闇を照らす行灯の火は、我々が使う蝋燭の火よりもずっと微かなものでした。しかし、そんな火でもやはりとても貴重なもので、火の苗床となる油は、大変重宝されていたのです。

 

 それゆえ、油を盗むことは、ちょっと現代の感覚では想像できないほどに罪なことと考えられていたようです。たとえばある老婆が河内国にある枚岡神社の灯油を毎晩盗み出しており、その罪から死後、姥ヶ火という妖怪へと変化した、という話があります。また、叢源火という妖怪も、賽銭や灯油を盗んでいた悪僧が、死後にその悪行によって火の玉になってしまったという話です。こうした話は、単純に神社に対する不敬が齎した神罰と考えることもできますが、やはり当時の人々にとって油がいかに貴重品であったかを物語る証左と考えることもできるでしょう。

 

 しかし、そうした貴重品である油や蝋燭を惜しげもなく使い、漆黒の帳がおりた後でもなお、明るく輝いていた場所がありました。それが吉原を代表とする遊郭です(昨今は、大人気アニメ、『鬼滅の刃遊郭編―』が放送されている影響もあってか、世間の遊郭に対する関心が高まっているようにも思えます)。遊郭というのは、江戸の人々にとって、最も高価な遊びの一つでしたが、それは遊郭側が当時の高級品であった蝋燭や油の代金を賄うためでもありました。客単価を上げて商売をしないと、夜中に消費した蝋や油の元を取ることができないのです。

 

 遊女の油舐め、という言葉があります。これは金にならない遊女を揶揄する言葉で、「客が取れない遊女はいたずらに灯油を消費するばかりでかなわない」という意味があります。つまり、モテない遊女は「油を舐めている」(無駄に灯油を消費している)ということです。よって、遊郭側にしてみれば、モテない遊女というものは無為に油を消費し尽くし、火を消していくだけのお荷物ということになってしまいます。そして、火消婆というのはこうした遊郭の事情から創作された妖怪ではないでしょうか。

 

 つまり、火消婆とは、客の取れない年増の遊女(=婆)のことであり、彼女らは火を消す(油を無駄に使う)だけで、遊郭側に何の利をもたらすことはしない、ということを象徴的に表現したものかもしれません。現代の感覚で言えば、大へんに失礼な話ですが、石燕の当時の遊郭に対する態度を考えれば、そうした妖怪を創作していたとしても、時に不思議はないようにも思われます。

 

 ということで、筆者としては、「火消婆というのは、客のとれない年増の遊女が油を無駄に使う様を揶揄した妖怪であり、石燕の創作妖怪の一つである」という結論を下したいと思います。しかし、実は火消婆には、面白い逸話も残されています。それは、作家である山田野理夫先生が『東北怪談の旅』に書き記された、『吹き消し婆』という話です。それは、秋田県で行われたある婚礼が終わった後のことでした。

 

 日が落ちても皆はまだ酔っていた。いくら酒を飲んでも身上がピクともするものではない。広い座敷にはローソクが点されてあかあかとしていた。嫁が婿とともに座敷から立ち去ると、座敷の客でポツポツ帰るものが出てきた。

 すっかり客たちは帰った。この家の者も疲れてぼんやりとしていた。

 番頭は主人に代わって後始末を見回る役目があった。番頭は奥座敷ローソクが消されていないことに気がついた。それで奥座敷へやってきた。

 そこには見なれぬ老婆がいた。それでも番頭は手伝い婆と思った。老婆は、ローソクの灯をフー、フー、と一本ずつ息を吹きかけて消して歩いていた。

 番頭は、おまえは年寄りだけあってよく気がつくね、といった。

 老婆は、返辞をしないが、消しつづけていた。ローソクの火を全部消しおわるとともに老婆の姿も消えてしまった。

 番頭は、あれが吹き消し婆なのだ、とつぶやいた。その夜は風のない晩であった。

 

山田野理夫『東北怪談の旅』

 

 山田先生は作家ですので、この話もまた創作である可能性は高いでしょう。しかし、山田先生は、同じく作家である京極夏彦先生との対談の中で、「実際に自分が取材して集めた話と、創作の割合は半々くらい」とおっしゃっています。なので、山田先生が亡くなった今、この話もまた創作である、と断言することは誰にもできません。

 

 もしかすると火消婆というのは、石燕の創作でもなければ、客の取れない年増の遊女の比喩でもなく、実際にいるのかもしれません。現代でも、原因のはっきりしない停電がよく起きるといいます。今夜、あなたの家で、交換したばかりの電球が急に消えてしまったら、それは火消婆の仕業かもしれません。