百怪風景

妖怪・怪談の紹介と考察を行うブログです。

不落不落

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鳥山石燕『画図百器徒然袋』)

「不々落々」
山田もる提灯の火とは見ゆれども、まことは蘭ぎくにかくれすむ狐火なるべしと、ゆめのうちにおもひぬ。
鳥山石燕『画図百器徒然袋』)

 

 提灯お化けと言えば、一つ目小僧や唐傘お化けと並んで非常にポピュラーなお化けですが、実は具体的な伝承や文献はほとんど見つかっていません。不落不落(ぶらぶら)もそのような提灯お化けの一種なのでしょうか(『百器徒然袋』では、「ぶらぶら」の表記に揺れがあり、「不々落々」「不落々々」などと書かれています。前者であれば「ぶぶらら」になってしまうため、基本的には「不落々々」「不落不落」と表記されることが多い印象です)。


 不落不落は文車妖妃と同じく、『百器徒然袋』に描かれた妖怪であり、やはり石燕の創作である可能性が高い妖怪です(ちなみに、筆者が個人的に最も愛する妖怪はハンドルネームでもある「飛縁魔」なのですが、この不落不落もそれに劣らず好きな妖怪です)。まずは詞書を見ていきましょう。「山田もる」とは「山田守る」、つまり山の田を守る案山子(かかし)につく枕詞のようなものです。よって「山田もる提灯の火」とは、案山子のように田んぼに立てられた提灯の明かりのことなのでしょう。詞書を簡単に現代語に訳すると「山田に灯った提灯の火には見えるけれども、実は蘭菊の間に隠れた狐火なのではないだろうかと、夢の中で思った」という内容で、そのまま解釈するのであれば、「提灯の火だとは思うけど、あれ狐火かもな(だったらいいな)」という程度のもはや石燕の感想でしかない妖怪ということになります(このあたりの切なさも不落不落の魅力の一つです)。

 

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鳥山石燕画図百鬼夜行』より「狐火」)

 江戸郊外の王子では、毎年大晦日に江戸じゅうの狐が集まって無数の火を灯すという俗信がありました。里の人々はその炎の流れを見て農作物の豊凶を占ったそうです。冬の夜をスクリーンにして無数の火が揺らめくその光景はとても美しく、幻想的であったことでしょう。狐火には「狐が口から吐いた火である」という説、「狐が咥えた馬の骨を打合せて出した火である」という説(上の画像でも狐が骨を咥えています)、「リン」説、「英語のfox fire(枯れ木に発生した菌類が発する微光)を普通に直訳してしまった」説など、様々なものがありますが、実際のところその正体や起源についてはよくわかっていません。


 電気が存在せず、蝋燭や油も貴重品であった江戸時代。現代とは異なりその夜闇は真の漆黒でした。そして、山間部であればなおさらであったしょう。たとえそれが狐火などではなくとも、そんな漆黒の世界に揺らめく炎は、やはり哀しく幻想的で、人々に様々な感懐を呼び起こすものであったことは想像に難くありません。迷い出た魂を想起させるそれに喚び起こされる感情は、ある種の恐怖かもしれませんし、死者に対する郷愁なのかもしれません。不落不落はそんな炎に対するある種の憧憬を伴った感情そのものなのではないでしょうか。


 「不」とは「~ではない」ということ。もしくは「よくない、悪い」ということ。「落」とは「落下する」こと、「敗れる」こと、「ぬけおちる」こと、「きまりがつく」こと(話のオチ)、「手に入れる」こと(落札など)、物事にこだわらない」こと(豪放磊落など)、「さびしい」こと(落莫など)。不落不落は彷徨う炎であり、死者の魂なのでいつまでも「きまりがつかず(成仏できず)」「この世へのこだわり(執着)を断ち切れず」、ただぶらぶらと落ちることなく漂っているのかもしれません。


 不落不落に関する伝承は、現在見つかっておらず(もちろん筆者が知らないだけの可能性もあります)、やはり石燕の創作(というより感想)であると思われます。水木しげる先生の『日本妖怪大全』におけるに不落不落の項には、通称「竹寺」と呼ばれる京都の古寺に出た提灯の怪火の話が記載されています。その寺では新仏が運ばれてくるたびに、夜の竹林の奥に提灯のような怪火が燃え上がり、微かに揺らめくといいます。しかし、この『日本妖怪大全』にはこの話の出典が明記されておらず、先生が何かしらの文献を御参考にされたのか、口碑伝承を御参考にされたのか定かではありません。また、何より水木先生自身もこの怪火を、特に不落不落と同一視されているわけではありません。しかし、このようなどこか美しく、懐かしいこの話を不落不落の項に記載された水木先生の感性にはただひたすら敬服するばかりです。そうした美しさや郷愁を掻き立てる哀しさこそが不落不落の本質であると筆者は思うからです。