百怪風景

妖怪・怪談の紹介と考察を行うブログです。

天井嘗

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鳥山石燕『画図百器徒然袋』)

「天井嘗」
天井の高は灯くらうして冬さむしと言へども、これ家さくの故にもあらず。まつたく此怪のなすわざにて、ぞつとするなるべしと、夢のうちにおもひぬ。
鳥山石燕『画図百器徒然袋』)

 

 天井嘗(てんじょうなめ)は文車妖妃と同じく、『百器徒然袋』に描かれた妖怪です。この妖怪も兼好法師の『徒然草』に着想を得ているようで、石燕は『徒然草』第五十五段にある「天井の高きは、冬寒く、灯暗し」を詞書に引用しています。石燕は天井の闇はこの妖怪が作っている、というのです(詞書にある「天井の高は灯くらうして」からは「灯食らう」、すなわち「灯りを食らって消す(闇をつくる)」という洒落も読めます)。


 山岡元隣の『百物語評判』巻二には、「垢ねぶり」という妖怪に関する記述があります(石燕も「垢ねぶり」を「垢嘗(あかなめ)」という名で『画図百鬼夜行』に描いています)。その記述によれば、「水から生まれた魚が水を飲むように、垢ねぶりもまた塵や垢の気が積もって化生したものである」と述べられています。どうも江戸時代においては、生物にしろ化け物にしろ、「自分が食らう物の中より生まれる」という認識があったようです。

 

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鳥山石燕画図百鬼夜行』より「垢嘗」)

 

 そうであれば、天井を嘗める天井嘗は、天井が化生した妖怪、ということになるのでしょうか。そもそも石燕の『百器徒然袋』に描かれた妖怪は、「百器」という名前からもわかる通り、基本的に「器物の精」や「付喪神」(物が年を経て妖怪化したもの)として解釈することが可能です。たとえば、「不落不落」は(絵のみから考えるのであれば)「提灯の付喪神」と解釈することが可能ですし、「文車妖妃」も手紙が化生したものですから、やはり「付喪神的なもの」と言うこともできるでしょう。よって、天井嘗もやはり、「天井が化生した存在」、すなわち天井が付喪神化したものである(もしくは少なくとも石燕自身はそういう意図を持って天井嘗を描いたのである)、という解釈もそれなりの説得力を持つように思います。


 実際のところ、天井は家の中にある異界でした。かつての家屋は天井が高く、今のように便利な灯りもそうそうありませんでしたから、そこには常に闇が渦巻き、「見えているのに見えない」場所であったのです。見えない場所であれば、そこに何がいてもおかしくはありません。そんな場所が家の中にある、しかも仰向けに眠るときなぞは常にそんな場所が視界に広がるとすれば、やはりそれは不気味なことだったのでしょう。


 一般的には、天井嘗もまた『百器徒然袋』に描かれた多くの妖怪たちと同じように、石燕の創作であろうと言われています。よく「天井のシミは天井嘗が舐めたことによってできたものである」とか「天井嘗がつけたシミを眺めていると気が狂う」というような説明が様々な書籍でなされていますが、実際にそのような伝承が書かれた資料は今のところ見つかっておらず、あくまで後世の人々が絵から想像したものであるようです。また妖怪研究家の多田克己先生は、『百器徒然袋』に描かれた天井嘗の図像は、松井文庫蔵の『百鬼夜行絵巻』に描かれた「いそがし」という妖怪の図像を模写したものである、と述べておられます。しかし、筆者としては「天井嘗」と「いそがし」が模写と呼べるほど似通ったものには見えません。皆さんはどう思われるでしょうか?

 

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(松井文庫所蔵『百鬼夜行絵巻』より「いそがし」)


 漫画家の水木しげる先生は、鳥取県の境港で過ごした幼少期に、「のんのんばあ」と呼ばれていた拝み屋のおばあさんから、天井嘗の話を聞いたと言います。しかし、これは石燕の絵が先にあって、そこから天井嘗に関する伝承が生まれていたに過ぎないのか、もともとそれに類する怪異や伝承があって、それをモデルに石燕が天井嘗という妖怪の絵を描いたのか、前後関係が判りません。たしかに天井に関する怪談はよくあります。天井のシミが人の顔になったとか、天井から女がぶら下がってきたとか、幽体離脱をして天井に触れる夢を見たが、その時の手形が翌朝も残っていたとか、現代でも天井にまつわる怪談はそれなりに語られているようです。おそらく天井嘗については石燕の創作なのでしょう。「猫娘」の項でもお話しさせて頂きましたが、江戸時代においては「一般的に舐めないようなものを舐める」という行為自体が不気味さのアイコンのようなものだったと思われるので、「何かを舐める妖怪」というのは、それほど想像力を働かせなくとも簡単に創作できてしまうものだったのだと考えられます。


 ただ。筆者個人としては、天井嘗を完全な創作だとしてしまうことにはどうも抵抗があるのです。それは、筆者が「人生で初めて体験者自身から聞いた実話怪談」が、この天井嘗を思わせるようなものだったからです。その話は筆者が小学校一年生の頃に、団地に住む友人のお姉さん(四年生)から聞いた話です。当時から水木作品や『地獄先生ぬーべー』といった妖怪が出て来る漫画のファンだった筆者は、友人の家に遊びにいった時、「こいつはお化けに詳しいからお姉ちゃんがこの前見たやつについて何か知ってるかもしれんよ」と友人がお姉さんに促したのです。今から二十年以上も前の話ですが、やたらとインパクトが強く、今でも詳細をよく覚えています。以下にその話の全容を掲載します。

 

 

う~ん、そんな大した話とちゃうねんけどな。
この前な、夜寝てたら、まよなかに目がさめてん。
でもな、変なんよ。身体が全然動けへんの。

目はあいてるんやけどな、全然うごかれへんの。
そんならな、黒いもやもやが入ってきてん。
何かなぁ、と思ってよく見てたらな。

それはだんだんおっきいとかげみたいなかたちになった。
でもとかげとちがってな、立ってんの。二本足で。
おそわれるんかなぁ、と思ってすごい怖かったけど、声も出やんし身体も動かん。
ああ、もうあかんなぁ、って思ってたらな、そのおおきいとかげがな。
長い舌をのばして天井をぺろぺろなめだしてん。
うん、私はなんもされんかった。天井なめてただけ。
私には見向きもせんからさ、なんかだんだん怖くなくなってきて、ぼーっと見てた。
で、しばらくしたらな、それはすーっと消えていった。
なんかあんまりこわくないやろ。でも最初はこわかってんで。
あれおばけなんかなぁ。

 

 

 もちろん今思えば、この話をしてくれた友人のお姉さんは天井嘗を知っていて、弟や筆者をからかったのかもしれません。それとも単に変な夢を見ただけなのかもしれません。しかし、当時の僕は随分と興奮したものです。「天井をなめるなんてヤツしかいないじゃないか!」と。