百怪風景

妖怪・怪談の紹介と考察を行うブログです。

くねくね【弐】

「くねくね」

 水田や川辺といった、田舎の水場に現れるとされる怪異。遠目では人と同じような姿をしているが、その前身は白く、関節を曲げながら踊るようにくねくねとゆれており、その関節の動きは常識ではありえないという。これを見てしまうと精神に異常をきたすといわれる。

(寺田広樹『オカルト怪異事典』)

 

 

 まず前回から五か月近くも更新が滞っていたことをお詫び申し上げます。完全なる私事なのですが、仕事が忙しかったり、引っ越しがあったりで、公私ともに慌ただしく、ブログの存在さえも忘れておりました…。今後ともゆっくり更新していきますので、読者の皆様は何卒宜しくお願いいたします。

 

 さて、今回の記事は前回の続きで、くねくねの正体に関する考察です。巷でくねくねの正体として囁かれているものから、筆者の個人的な考察も含めて見ていきましょう(単なる創作である、という最も有力な説に関しては今回触れません)。

 

 

①ひょうすべ説

 筆者が初めてくねくねについての話を聞いたのは、中学時代でした。当時の筆者は携帯電話も持っておりませんでしたし、ネットサーフィンをする習慣もあまりなかったので、くねくねの話は地元の公園で友人に聞かされたのをよく覚えています。その時の内容は、一般的に知られる「くねくね」の内容そのものだったのですが、まずその話を聞いた時に頭に浮かんだのが「ひょうすべ」という妖怪でした。

 

(佐脇崇之『百怪図巻』)

 ひょうすべはよく河童の一種として語られる妖怪で、主に九州地方に出没すると言われています。ひょうすべについて語ると非常に長くなるのですが、中学生だった筆者にとってみれば、「水辺に現れる」(河童なので当然ですね)、「くねくねと動く」「見たら気が狂う」という部分がひょうすべのイメージに一致していたのです。様々な書籍では「ひょうすべを見たら気が狂う」とか「ひょうすべを見たら死ぬ」などといった解説がなされています。そして、実際、調べてみるとくねくねの正体をひょうすべとするような考察もいくつか見つかりました(あとくねくねのようなものを見たことを祖父に言うと「それはひょうせぇや」、と言われるというような怪談もありました)。

 

 しかし、この考察には無理があります。実際のところ、ひょうすべを見たら気が狂うというのは佐藤有文先生による創作だからです。佐藤有文先生は児童向けの妖怪図鑑、『日本妖怪図鑑』の中でひょうすべについてこのように述べておられます。

 

『人と出あうと、ヒッヒッヒッと笑うが、もらい笑いをすると熱を出して死ぬという』

 

 『日本妖怪図鑑』は佐藤有文先生の創作がふんだんに盛り込まれた作品であり、この部分もこれより過去の文献に見つけることはできません。この話が徐々に人口に膾炙していく中で改変され、「ひょうすべを見たら死ぬ」とか「ひょうすべを見たら気が狂う」という話になっていったのでしょう。また、くねくねらしき怪異の初出である「分からない方がいい・・」においては、くねくねが出没した場所はたしかに不明ですが、それ以降の話では秋田県など東北地方が舞台として語られることが多いことを鑑みても、九州の妖怪であるひょうすべが正体である可能性は低いと思われます。

 

 

②しょうけら説

 また、当時の筆者がくねくね以外で頭に浮かべたのはしょうけらという妖怪です。

 

(佐脇崇之『百怪図巻』)

 しょうけらは本来、人の体内に潜み、庚申の夜になるとその人の身体を抜け出し、宿主の罪状を天帝に報告してその寿命を縮めようとする妖怪です。宿主が死ねば、しょうけらはその身体から解放されて自由になれるため、宿主である人間には早く死んで欲しいわけです(だからしょうけらが身体から抜け出さないよう見張るために、庚申の夜には人々は眠らずに夜を明かしました)。

 

 このように「人の寿命を縮める妖怪」というところから、「疫病を運ぶ妖怪」と解釈され、後の漫画作品などでは「疫病神の一種」として語られることになりました。さらにこのしょうけらは真倉翔先生原作の『地獄先生ぬーべー』第六十八話『妖怪しょうけらが窓から覗くの巻』で、一躍当時の子供たちにトラウマを植え付けました。夕暮れ時、ふと見上げると屋根の上で激しくくねくねと踊る黒い影…それを見ると熱病にうなされるという話です。その正体こそがしょうけらなのですが、その影の描写が本当に不気味で、今でもよく『地獄先生ぬーべー』のトラウマ回として語られます。

 

 このぬーべーにおけるしょうけらのイメージは、「見たら気が狂う」や「くねくねと動く」というくねくねのイメージに見事に一致していますが、この話はもちろん真倉先生の創作です。よって、くねくねの正体がしょうけらという説はあり得ないのですが、この『妖怪しょうけらが窓から覗くの巻』で描かれたしょうけらの強烈なイメージが、後の創作怪談に影響を与えた可能性は大いにあるでしょう。

 

ドッペルゲンガー

 これはネットでよく囁かれている説です。ドッペルゲンガーとはもう一人の自分を見てしまう現象のことで、自分で自分のドッペルゲンガーを見てしまった場合は死ぬ、という風に語られます。ドッペルゲンガーというのはドイツ語ですが、日本でも同じような現象は目撃されており、その場合は生霊として解釈されることが多かったようです。かの芥川龍之介は自分のドッペルゲンガーを見たとも解釈できる描写を、晩年の傑作『歯車』の中に書いています(実際その後、芥川が服毒自殺を遂げたことは周知の事実です)。

 

 医学的にはドッペルゲンガーは自己像幻視として、脳の異常という風に解釈されます。脳に何かしらの異常をきたしているわけですから、もう一人の自分を見てしまう現象は、実際に死期が迫っている前兆なのかもしれません(しかしこれだと不特定多数の第三者までもがドッペルゲンガーを目撃する事例に関する説明がつきません。また、David McCabeとAlan Castelが行った実験のように、人は「脳の誤作動の影響」など、説明の中に「脳」という言葉が入ると、たとえどんな荒唐無稽な説明でも比較的簡単に信じてしまうという研究結果もあります。それゆえ筆者は個人的に何でも脳のせいにして話を終わらせる傾向はあまり好きではありません。そうするとなんでもありになってしまうからです)。

 

 閑話休題

 

 このように「見たら死ぬ」ということからドッペルゲンガー説にはくねくねとの親和性を感じます。また、正体不明の影の正体が自分自身というのは確かに怪談のオチとしてはよくありそうです。しかし、くねくねと踊りまくるドッペルゲンガーの話なんて聞いたことがありません。また、くねくねを目撃した本人が「(その正体を)分からない方がいい・・」と連れ合いに言うのもどこか不自然です。その正体はあくまでもう一人の目撃者自身であり、もう一人の連れ合いではないわけですから、連れ合いにとってはその正体は分からない方がいいものとも言えないからです。

 

 さて、くねくねを超常現象と解釈するのであれば、考えられる正体はそんなところでしょうか。現実的な仮説を採用するのであれば、蜃気楼説や案山子説、デウスエクスマキナである脳の誤作動説などがあります。もしかすると白い服を着た人が、夏休みにテンションが上がってしまい、本当に踊り狂っていただけなのかもしれません(夏場に白い服を着るのは断熱性の観点から見ても特に不自然なことではありませんし、その人が親戚のおじさんなどであれば、たしかにその場合、正体は「分からない方がいい・・」でしょう)。これらを見ても特に精神に異常を来す原因にはなりませんが(その踊り狂っている当人が、親戚のおじさんなどであれば軽く落ち込みはするでしょうが…)、前回の記事で確認したように、オリジナルである「分からない方がいい・・」の中では、くねくねらしきものを見たことと、目撃者が知的障害を患ったことの因果関係は不明ですから、目撃者は変なものを見たあとに、偶然何かしらの病に罹ったり、事故にあったりしただけなのかもしれません。

 

 真相は闇の中ですが、解釈次第では特に不思議なことは起きていないのです。だからこそ、くねくねと似た怪異は、現実に目撃されうるのかもしれません。