百怪風景

妖怪・怪談の紹介と考察を行うブログです。

高女

鳥山石燕画図百鬼夜行』)

 

 「高女」(たかおんな・たかじょ)は鳥山石燕の『画図百鬼夜行』に記載された妖怪です。「塗仏」や「おとろし」等と同じく、石燕は「高女」に関して一切の説明を加えていないため、どのような妖怪かはよくわかっていません。

 

 妖怪研究家の多田克己先生は、『百鬼読解』の中で、「毛倡妓(けじょろう)」や「泥田坊」と同じく、吉原遊郭を風刺して石燕が創作したお遊びの妖怪だろうと考察しておられます。実際、石燕の描いた「高女」は、遊郭のような建物の内部を伸びあがるような姿で描かれています。その顔はとても不気味で恐ろしく、今と異なる美的感覚を持っていた江戸の人々にとっても、決して美人とは呼べないでしょう。遊郭で高い金を払ったのに醜女が出てきた」ということなのでしょうか。言葉遊び好きである石燕のことですから、「背の高い醜女」と「値段の高い遊女」を掛けた洒落である可能性も多いにあると思われます。

 

 しかし、この「高女」の如く、伸びあがるように巨大化する妖怪自体は珍しいものではありません。「見越し入道」や「のびあがり」、「高坊主」といった妖怪たちがそれにあたります。実際のところ藤沢衛彦先生の『妖怪画談全集 日本篇 上』ではこのような「巨大化する怪異」として「高女房」なる妖怪の話が紹介されています。それによると「高女房」は和歌山に出現したとされる妖怪で、『妓楼の二階などに下からぬっと出て人を驚かす高女』というキャプションが添えられています。しかし、この「高女房」なる妖怪は、藤沢先生が石燕の描いた「高女」の絵から想像したものに過ぎないのではないかという指摘もなされています。また水木しげる先生の『日本妖怪大全』にもこの和歌山の「高女房」という妖怪のことが触れられており、それによれば「高女房」は木地屋の女房であり、普段は普通の女性なのですが、ひとたび怒り出すと七尺(約2.1メートル)の大女となり、人を食らうというのです。

 

 さらに作家である山田野理夫先生の『東北怪談の旅』の中にも、秋田に出現した妖怪として「高女」の話が紹介されています。短い話ですので引いてみましょう。

 

 天保年間、羽後国の海沿いの名主仁左衛門の屋敷で嫁取りがった。仁左衛門は女房を亡くして永いこと独りでいた。親類のもののすすめで女房を貰った。若い女である。

 仁左衛門を羨むものが多かった。仁左衛門若い女房が寝所に入ると、襖の隙間からのぞきにくるものもいた。

 これには仁左衛門も困却した。そこで寝所を二階に移した。それでも梯子をのぼってきた。仁左衛門は梯子を取り除いて睡ることにした。これで気遣うことはない。

 だが、その晩、階下から二人をのぞいている女がいた。仁左衛門はおどろいて女房にこういった。あれは高女だ。

 高女はしっと深い女で、自分が醜いので男に相手にされず、それで遊女屋などの二階ものぞいて歩く背丈のある女だ。

 

(山田野理夫『東北怪談の旅』)

 

 この山田先生の話の影響からか、様々な書籍では「高女」のことを「嫉妬深い醜女が化けた妖怪」という風な紹介がなされることになりました。しかし、山田先生の『東北怪談の旅』は山田先生の創作話と実際に取材した話が半々程度の割合であることが判明しており、村上健司先生はこの「高女」の話を、『別の怪談に高女の名前を当てはめただけなのではないか』と述べておられます。山田先生が亡くなってしまった今、残念ながら真相を確かめる術はありません。

 

 さて、この「高女」ですが、近年になって度々インターネットなどで話題に上がることがあります。怪談好きの方なら御存知でしょうが、あの有名な2chの怪談『八尺様』の正体がこの「高女」なのではないか、と言うのです。個人的には「昔から語られている妖怪が実はほんとうに実在しており、現代でもその名を変えて人々の前に姿を現している」という筋書きは大好きなのですが、まぁ実際のところ「高女」も「八尺様」もどちらも創作でしょう(いつもすみません)。

 

 しかし、『八尺様』の怪談を創作された方が、「高女」の存在からインスピレーションを得た可能性は十分に考えられます。先ほど紹介したように、水木先生の『日本妖怪大全』に書かれた「高女房」の身長は七尺です。これをあと一尺グレードアップさせれば『八尺様』になります。そもそも我が国において、七と八の間には明確な断絶があります(これは『コトリバコ』の記事でもお話しさせて頂きましたね)。たとえば、昔は「七つまでは神のうち」といって、子どもは七歳の頃まではこの世とあの世の境にいる曖昧な存在とされていました。八歳になってようやく完全なこの世の人間となるのです。また、「永遠」のことを「八千代」と言い(君が代でおなじみですね)、「たくさんの神様」を「八百万の神」と言います。コトリバコにおいても「シッポウ(七封)」から「ハッカイ(八開)」で呪いの強さが跳ね上がりました。そのような我が国の文化的背景を鑑みても、『七尺様』よりは『八尺様』の方が得体の知れない怪異の名前として相応しいと考えられたのかもしれません(有名な「八岐大蛇」も同じような例と言えるでしょう)。

 

 もちろん、「高女」が石燕の創作ではなく、実際に伝承されていた妖怪である可能性も否定はできません。もしもそうであるなら、このような想像をすることも可能ではないでしょうか。

 

 「高女」はあまりのおそろしさにその伝承が具体的に書き残されることはありませんでした。しかし、一部の地域でだけは、「高女」の伝承は口伝で生き続けていました。その地域とは、実際に「高女」を封じ込めた小さな村でした。ただ、その村ではその妖怪は「高女」とは呼ばれていませんでした。村人たちは妖怪のと途方もなく高い背丈から、単に大きいという意味が込められた「八」という数字を連想し、畏怖の念を込めてこう呼んだのです。

 

『八尺様』と。