百怪風景

妖怪・怪談の紹介と考察を行うブログです。

静か餅

「シズカモチ」
下野益子辺でいう。夜中にこつこつこつこつと、遠方で餅の粉をはたくような音が人によって聴える。その音が段々と近づくのを搗込まれるといい、遠ざかっていくのを搗出されるといい、静か餅を搗出されると運が衰える。搗込まれた人は、箕を後ろ手に出すと財産が手に入るともいう。あるいはまた隠れ里の米搗きともいい、この音を聴いた人は長者になるという話もあった。摂陽群談、摂津打出の里の条にもある話で、古くから各地でいうことである。
柳田国男『妖怪名彙』)

 

 

 今回紹介・考察させて頂く妖怪は、「現象」としての妖怪、「シズカモチ」です。柳田国男先生の「妖怪名彙」の一番初めに記載されている妖怪です。いわゆる、正体不明の「音の怪異」であり、栃木県や兵庫県に伝承があり、アイヌにも「粟搗き音」という似たような伝承があります。アイヌでは、炉端で寝ていると地中から粟を搗く音が聞こえてくることがあり、そういう年は豊作になる、と言われています。


 ちなみに柳田先生のこの「シズカモチ」に関する説明は、主に1929年に発刊された栃木の機関紙である「芳賀郡郷土研究報」を参照しているようです。「芳賀郡郷土研究報」における「シズカモチ」の記述を見てみましょう(旧仮名遣いは現代仮名遣いに改めました)。

 

 

「シズカモチの話(平島吾一)」
 私の郷土(芳賀郡益子町大字大羽)にこんな説話が伝わっています。屋の棟も三寸下ると云う丑三つ時に、「コツコツコツコツ」遠方で餅搗くような異様な音が聞こえるのです。此の物音が人に依っては聞こえもし、また人によっては少しも聞こえないのです。
 遠方からこの異様な物音を段々近づいて来るが如く聞こえる者はシズカモチに搗込まれたのであると云って、福運が向いて来ると云われ、またこの物音が段々遠方へ向かって行くように聞こえた人はシズカモチを搗出されたと云って、福運が行って終うのであると云われています。
 それでこの物音を迎えて聞えた人は箕を後ろ向きに出すと、沢山の財産が這入るとされています。

 

 

 柳田先生の説明からは感じなかった不気味さを感じる文章です。シズカモチはただの異音ではなく、あくまで「怪異」であるようです。シズカモチを怪異たらしめている要素は、まず第一に「丑三つ時」という、常識的に考えれば餅搗きの音が聞こえるはずのない時間帯に餅を搗くような音が聞こえたという点、そしてこの異音が福を呼び込んだり遠ざけたりするという点が挙げられます(聞こえる人と聞こえない人がいる、という点に関しては耳の良し悪しに依存する一般的な問題とも考えられるので、ここでは特に言及しません)。


 筆者がまずこのシズカモチを取り上げたのは、シズカモチが怪異や妖怪を考える上で非常に重要な示唆を与えてくれるからです(*柳田先生は「シズカモチ」の別名として「隠れ里の米搗き」を挙げていますが、「芳賀郡郷土研究報」によれば、「隠れ里の米搗き」は、シズカモチと違って「家の中で聞こえる音」と明記されています。また、シズカモチとは同じ芳賀郡の伝承ではあるものの発生地域が異なる上(シズカモチは益子町だが、隠れ里の米搗きは逆川村や須度村)、聞こえる異音も異なる(シズカモチは「コツコツ」だが、隠れ里の米搗きは「ドシンドシン」)ので、民俗学者小松和彦先生は「同じような怪異ではあるが、別の怪異として扱うべきである」と述べています。よって本項でもこれらの怪異を別物として扱い、あくまでも「シズカモチ」についてのみ考察をおこなっていこうと思います)。

 

 さて、シズカモチが「怪異」とされ、伝承となった最大の要因は一体何でしょうか。それは体験者が深夜の異音を「餅つきの音」と解釈し、さらにその解釈を学者が収集し、「怪異」として記録したことです。餅つきの音と解釈すればこそ、深夜に聞こえてくることが異常なのです。たとえば体験者がその音を動物が立てる物音と解釈した場合、それは(少なくとも体験者にとっては)特段不思議なことではなくなり、この異音が怪異となることもありません。「餅つきの音」と解釈したからこそこれは怪異となり、餅を「搗いている」と「ツイている(=運がいい)」という言葉の語呂合わせから「音が近づけば福運が向いて来て(=ツキが回ってくる)、遠ざかれば福運が行ってしまう(=ツキが逃げる)」という伝承へと派生していったのでしょう。この異音が福運と結びついた怪異となるには、この音が「餅を搗く音」と解釈されなければならなかったのです。


 このように、妖怪とは、体験者による「解釈」なのです(もちろん全てがそうだ、とまで言うつもりはありません)。「解釈」である以上、やはり「いるいない」という議論は不毛です。「そう解釈した人」は「いる」けれども、その「解釈自体」がどこかに「いる」わけではないからです(そもそも解釈は「いるいない」ではなく「あるない」、もしくは「できるできない」のフェイズで語るべき問題です)。


 さて、それではシズカモチの異音はなんだったのでしょうか。ここからはもちろん、筆者自身の「解釈」に過ぎません。証明することが不可能な問題である以上、真相はわかりませんし「こういう解釈も可能である」という可能性を提示することしかできないのです。


 「芳賀郡郷土研究報」によれば、異音が聞こえる時間帯は「丑三つ時」であるとされています。また、「餅搗く様な異様な音」は、「コツコツコツコツ」という擬音で表現されています。さて、「丑三つ時に聞こえるコツコツという音」。もし同じものを現代人が聞けば何の音と解釈するのでしょうか。これは(特に怪談・奇談に関心のある人であれば)丑の刻参りで誰かが藁人形に釘を打つ音、と解釈するのではないか、と考えられます。


 丑の刻参りとは、丑三つ時に神社の境内で藁人形に釘を打つ呪いの儀式です。非常に有名な儀式であり、現在でも密かに行われているといいます。コツコツという音は、文字通り受け取るのであれば、釘を打つ音にも聞こえます(実際に益子町には神社がいくつもあります)。実際、餅を搗く音は、よく言われるような「ペッタン」というような音ではなく、文字であらわすのであれば、「コッツン」という方が近く、釘に向かって槌を打ち込む音によく似ています。もしシズカモチとされている異音が誰かが丑の刻参りで釘を打ち付ける音であるとすれば、「夜中に丑の刻参りの音を聞いた」という不気味な怪談としては成立するかもしれませんが、少なくとも妖怪的な現象として伝わることはなくなります。やはり妖怪は「体験者の解釈」に大きく依存するのです。


 今とは違って、電気がほとんどなかった時代。深夜の異音というのはどれほど不気味なものだったでしょう。それが得体の知れない音であればなおさらです。水に溶かした墨が渦を巻いているような真っ黒な畦道。林の向こうから聞こえるコツコツという音。呪詛を込めて打ち付けられる暗くて重たいその音は、杵を打ち付けるような重い音に聞こえたのかもしれません。