百怪風景

妖怪・怪談の紹介と考察を行うブログです。

油すまし

「アブラスマシ」
肥後天草島の草隅越という山路ではこういう名前の怪物が出る。ある時孫を連れた一人の婆さまが、ここを通ってこの話を思い出し、ここには昔油瓶下げたのがでたそうだというと、『今も出るぞ』といって油すましが出てきたという話もある。
柳田国男『妖怪名彙』)

 

 アブラスマシはゲゲゲの鬼太郎にも登場する妖怪です。鬼太郎の世界では、ぬりかべや砂かけ婆らの鬼太郎ファミリーに次ぐ、準レギュラーのような立ち位置になっていますが、実際のところこの妖怪に関してはほとんど何もわかっていません。アブラスマシといえば、全身に蓑を羽織り、文楽の蟹首人形のような顔をした妖怪で、知能が高く、妖怪界における参謀長のような扱いで描かれますが、これは水木漫画におけるデザインや、1968年に公開された映画『妖怪大戦争』におけるアブラスマシの設定に過ぎず、実際にアブラスマシに関するそうした伝承があるわけではありません。近年では草隅越に近い栖本町河内にある三体の石仏が「すべり道の油すましどん」と呼ばれていることが地元からの報告で明らかになりましたが、これが妖怪アブラスマシとどのような関係にあるのかもやはりわかっていません。しかし、アブラスマシの伝承がかつての天草の地に息づいていたことだけは確かなようです。


 『妖怪名彙』におけるアブラスマシの解説は、大正から昭和にかけて、天草地方の民俗調査を行っていた浜田隆一先生の『天草島民俗誌』からの引用となっています。まずは『天草島民俗誌』原典を引いてみましょう。

 

 

ある時、一人の老婆が孫の手を引きながらここ(草隅越)を通り、昔、油ずましが出おったという話を思い出し、『ここにゃ昔油瓶下げたとん出よらいたちゅうぞ』と言うと、『今も―出る―ぞ』といって出てきた。
(浜田隆一『天草島民俗誌』)

 

 

 まず、原典では油「すまし」ではなく、油「ずまし」となっています。長らくこれは柳田先生の誤記によるものかと思われていましたが、実際に現地では油をしぼることを「油をすめる」と言い表す方言が存在していたことがわかり、柳田先生の表記こそが(もしくは浜田先生、柳田先生の両方が)正しいという可能性も出てきました(もしもアブラスマシが「油をしぼる」妖怪であるのなら、それは「コトリゾ」のように「子どもの油をしぼる」妖怪であり、子脅しの道具として語られていた妖怪という可能性もあります)。


 また原典とは異なり、『妖怪名彙』ではアブラスマシを「怪物」と明記しているため、後世の解釈ではアブラスマシを「腰に油瓶を下げた化け物」として解釈することが主流となったようです。しかし、作家の京極夏彦先生は原典の『天草島民俗誌』には、「油瓶下げたのが出た」としか書かれていないため、「アブラスマシは単に「油瓶が下がってくる怪異」だったのではないか」と考察しておられます。実際のところ、『妖怪名彙』はカテゴリー毎にまとめて妖怪の名前を記載しています。たとえば最序盤にはシズカモチやタタミタタキ、タヌキバヤシといった所謂「音の怪異」がまとめられており、終盤は、テンピやキカやジャンジャンビといった「火の怪異」がまとめられています。では、アブラスマシの周辺にはどのような妖怪がまとめられているのでしょうか。まずアブラスマシの直前に記載されている妖怪は「ヤカンヅル」という樹上からヤカンがぶら下がってくる怪異です。その前にはフクロサゲという白い袋がぶら下がってくる怪異について書かれています。また、アブラスマシの直後には「サガリ」という古樹から馬の首がぶら下がってくる怪異が記載されています。以上のことから、どうも柳田先生自身も、アブラスマシを所謂「下がり系の怪異」(樹上などから何かがぶら下がってくる怪異)として認識されていたようです。また、当時の民俗学においては怪物という言葉は、現代のように「何かしらの実体を伴うモンスターのようなもの」だけを表すのではなく、文字通り単に「怪しいモノ」全般を指す言葉であったので、やはりアブラスマシは単に樹上から油瓶が下がってくるだけの怪異だった可能性は非常に高いと思われます。


 アブラスマシは「下がり系の怪異」であると共に、「今も坂」(または今にも坂)と呼ばれる怪異の要素も含んでいます。「今も坂」とは、たとえば「昔このあたりの坂には大入道が出たそうだ」と噂をしていると、「今もでるぞ」といって大入道が出てきたり、「昔このあたりに血まみれの手首が出たそうだ」と話していると、「今も」といって手首が坂を転がってきたり…というような話です。このような話は九州を中心に比較的広範囲に分布しています。「怪を語れば怪に至る」ということなのでしょうか。たしかに血まみれの手首やら、大入道やらが出てくれば怖いかもしれませんが、「今も―出る―ぞ」と微妙に節をつけて油瓶が下がってきたとしてもそれほど怖くはないように思います。


 以上のように油瓶は恐らく「下がり系の怪異」であり「今も坂系の怪異」であることは間違いないのでしょう。しかし、下がってくるのが単なる油瓶なのか、腰から油瓶を下げた化け物なのか、それとも子どもの油をしぼる恐ろしい何かなのか…それを確かめるには草隅越(現在の草積峠)でアブラスマシの噂をしてみるしかないのかもしれません。