百怪風景

妖怪・怪談の紹介と考察を行うブログです。

狸囃子

「タヌキバヤシ
狸囃子、深夜にどこでとも無く太鼓が聞えて来るもの。東京では番町の七不思議の一つに数えられ(風俗四五八号)、今でもまだこれを聴いて不思議がる者がある。東京のは地神楽の馬鹿ばやしに近く、加賀金沢のは笛が入っているというが、それを何と呼んでるかを知らない。山中ではまた山かぐら、天狗囃子などといい、これによって御神楽岳という山の名もある。
柳田国男『妖怪名彙』)

 

 

 タヌキバヤシ柳田国男先生の『妖怪名彙』に記載されている「音の怪異」です。深夜にどこからともなく、太鼓の音が聞こえてくる、祭囃子が聞こえてくる、といったもので、タヌキバヤシは所謂「本所七不思議」(本所、すなわち現在でいうところの東京都墨田区に伝わる怪談奇談の総称で、基本的にそれらの怪異は狸の仕業とされる)のひとつですが、似たような怪異は様々な地域で伝わっています。『妖怪名彙』における「タヌキバヤシ」の項目内で言及されている「山かぐら」や「天狗囃子」もまた、正体不明の異音ですが、これは山中での怪異です。また、山口県の屋代島では、毎年六月になると、どこからともなく太鼓の音が聞こえてくる「虚空太鼓」と呼ばれる怪異が伝わっており、「タヌキバヤシ」のような音の怪異が都心・山間・臨海を問わず、当時の人々に広く経験されていたことがわかります。


 タヌキバヤシに関する合理的な説明としては「遠くで行われていた祭事のお囃子や稽古の音が、風に乗ったり、山間に反響したことによって、遠くまで聞こえてきたものである」というものが一般的です。実際、現代とは異なり、江戸時代の深夜というものは随分静かなものだったでしょうから、反響した音が風に乗って、遠くまで運ばれることはそう珍しいことでもなかったのでしょう。


 しかし、当時の人々にとって、タヌキバヤシを怪異たらしめていたのは、「正体不明の祭り囃子のような音がどこからともなく聞こえてくる」という点よりも、そうした異音が「深夜に聞こえてくる」という点が大きかったのではないでしょうか。私たちが何かを考える際、無意識に現代の常識というフレームの中で考えてしまいがちです(常識というのは得てして目に見えにくいものなのです)。現代であれば、深夜まで祭りが行われることも、遅い時間に青年団が祭りにむけて太鼓の練習をすることもそう珍しいことではないでしょう。しかし、江戸時代においては、そうしたことは(ありえないことではないにせよ)、そうそうあることではなかったのではないでしょうか。


 「夜中に爪を切ると親の死に目に会えない」という言葉があります。これは「爪を切る=世をつめる」という言葉の語呂合わせから、「夜に爪を切ると早死にする(親よりも早く死ぬので親の死に目に会えない)」という発想が生まれたのだとか、「夜に爪を切ると暗いので、誤って指を切ってしまいやすくなるから、その傷が化膿し、早死にしてしまうのだ」とか、この言葉が誕生するきっかけとなったそれらしい理由が語られますが、元来この言葉はもっとシンプルに、「浪費を戒めるための警句」であったと考えられます。


 たとえ深夜であっても祝祭的なまでに灯りが煌めく現代とは違って、江戸時代において灯りとはとても貴重なものでした。蝋燭などというものは途轍もない高級品で、大商人の家や遊郭などでしか使うことはできず、一般人は油に火を灯し、わずかな灯りで夜を照らしていました。そして、そんな油でさえ、ひどく高価なものだったので(「姥ケ火」「油坊」など、油を盗んだ人間が後に怪火の化け物になる話も多いことからも、いかに当時油が貴重であり、それを盗むことが重罪であったのかが伺えます)、多くの人々は日が沈めば眠るしかなかったのです。そして、「わざわざ夜に爪を切る」というのは、そんな貴重な油に火を灯して、爪を切るということですから、当然「とても贅沢な行為」だったわけです。よって「夜に爪を切るような贅沢を繰り返していたら、故郷の親の死に目などの急場で必要な金がなくなる=夜に爪を切ると親の死に目に会えない」という言葉が生まれたのです。


 さて、このように江戸時代において夜に灯りと灯すことが、如何に贅沢なことかおわかり頂けたでしょうか。そんな時代、ましてや深夜に祭りをしたり、その稽古をするなどということは(たとえ物理的にできないことではないとしても)、多くの人々からすればやはり「ありそうにないこと」だったのでしょう。だからこそタヌキバヤシのような音の怪異は多くの地域で伝わっているのです。


 しかし、タヌキバヤシには、実は他にも面白い特徴があります。博覧強記の歌人柴田宵曲(1897-1966)が編纂した『奇談異聞辞典』によれば、「タヌキバヤシの音の所在を求めて、音のする方へ向かっても、音は逃げるように遠ざかってしまう」そうです。またさらに、劇作家であり、民話収集家でもある岡崎柾男氏(1932-)が採集した話の中には、「タヌキバヤシの音を追いかけているうちに夜が明けると、全く知らない場所にいた」というある種の異界探訪譚のようなものもあったようです。もちろん、これらの特性は後世の創作や誇張であり、実際のタヌキバヤシは単なる音の怪異だったのでしょう。しかし、「タヌキバヤシを追いかけるうちに見知らぬ場所にいた」という異界探訪譚めいたこの話は、現代におけるある有名な怪談に通じるようで興味深いところがあります。その怪談とは…。

 

 

「きさらぎ駅」
ある女性によって電子掲示板に書き込まれた怪異。その女性が新浜松駅から静岡県の某私鉄に乗っていると、いつもは数分間隔で停まるはずの電車が二〇分以上停車しないことに気が付く。不安になり始めた彼女は、しばらくしてやっと辿り着いた駅で降車するが、その「きさらぎ駅」という名の駅は付近に人家も見えないところに建つ無人駅だった。その場所がどこなのかもわからない女性は携帯電話で家族に連絡するも、彼女の父親が調べてもそんな駅は見つからないという。そこで警察にも連絡するが、いたずらだと取り合ってもらえない。しかもどこからか太鼓の音と、それに混じって鈴の音が聞こえてくる。不気味に思った彼女は仕方なく線路を辿って戻りはじめるが、突然聞こえた線路の上を歩いてはいけないという声に振り返ると、片足を欠損した老爺が立っていて、すぐに消えてしまった。恐怖に慄きながら女性は電車で通った覚えのある「伊佐貫」という名前のトンネルを抜け、そこで出会った人の車に乗せてもらう。安堵する女性だが、車は一向に町へ戻る気配を見せず、運転手にどこへ行くのか尋ねても答えない。その上意味のわからない独り言を呟き続ける。彼女はここで隙を見て逃げることを電子掲示板に報告するが、そのまま彼女の書き込みは途切れ、話は唐突に終わる。
(朝里樹『日本現代怪異事典』)

 

 

 「きさらぎ駅」は、2ちゃんねるのオカルト版に投稿された、所謂「異界駅」に関する怪談です。この「きさらぎ駅」以降、「かたす駅」「やみ駅」「ひつか駅」「月の宮駅」といった、数えきれないほどの類似の体験談が語られましたが、やはりきさらぎ駅の知名度はその中でも一線を画しています。きさらぎ駅には、古典的な怪談と比較した時に興味深い点が無数にあり(たとえば片足の老爺などは古典的な山の妖怪の特徴を色濃く反映しています)、まともに取り合えばとんでもない分量の記事が書けそうなのですが、今回の主題はあくまでタヌキバヤシです。よって、きさらぎ駅の怪談で注目したいのは駅の周辺でどこからともなく聞こえていた「太鼓の音」や「鈴の音」です。これはまさにタヌキバヤシと類似の怪異ではないでしょうか。


 そもそもタヌキバヤシとは言いますが、本当に狸が音を出しているわけがないのです(狸はただの動物ですし、あの犬と変わらないような前足で太鼓を叩くことは不可能でしょう)。実際にタヌキバヤシの音を追いかけているうちに狸を見つけた、というような話も聞きません。「タヌキバヤシの正体が狸である」というのは、狸からすれば事実無根の濡れ衣であり、いい迷惑でしょう。


 「タヌキバヤシの音を追いかけているうちに夜が明けると、全く知らない場所にいた」という先ほどの話を採集した岡崎柾男氏は、カストリ雑誌専門の出版社に勤務していた方であり、学者ではなくエンターテイナーに近い方だったようなので、前述したとおりこの話にどれほどの信憑性があるのかはわかりません。しかし、「異界への訪問」を想起させるようなタヌキバヤシにまつわるこの話と、異界駅であるきさらぎ駅に太鼓の音が鳴り響いていたというこの奇妙な符号(もちろん、きさらぎ駅が創作で、そのエッセンスとして片足の怪や、音の怪を取り入れただけと解釈することが最も現実的ではあるのですが)は、私たちに「何かあるのかもしれないな」という想像力を働かせる余地を与えてくれます。


 タヌキバヤシを追いかけると、見ず知らずの土地へとたどり着いている―。それは、タヌキバヤシが異界から響く音だったからなのかもしれません。