百怪風景

妖怪・怪談の紹介と考察を行うブログです。

児啼爺

「コナキジジ」
阿波の山分の村々で、山奥にいるという怪。形は爺だというが赤児の啼声をする。あるいは赤児の形に化けて山中で啼いているともいうのはこしらえ話らしい。人が哀れに思って抱上げると俄かに重く放そうとしてもしがみついて離れず、しまいにはその人の命を取るなど、ウブメやウバリオンと近い話になっている。木屋平の村でゴギャ啼キが来るといって子供を嚇すのも、この児啼爺のことをいうらしい。ゴギャゴギャと啼いて山中をうろつく一本足の怪物といい、またこの物が啼くと地震があるという。
柳田国男『妖怪談義』)

 

 

 コナキジジ、といえば鬼太郎の仲間として非常に有名な妖怪です。ただ、この妖怪も水木先生がイラスト化し、世間に流布させるまでは妖怪の中でも日陰者でした(妖怪自体が既に日陰者であるので、その中でさらに日陰者といえばこれは相当なものです)。


 実はコナキジジは野衾や磯撫と同じく、存在が実証されている妖怪のひとつです(作家の京極夏彦先生が講演などで時々ネタにしていらっしゃる上、ウィキペディアにも記載があるのでご存じの方も意外と多いかもしれません)。徳島県郷土史家である多喜田昌裕先生が、現地調査を行い、現地の人からコナキジジ伝承の発生源を突き止めることに成功したのです。コナキジジは当時実際に生きていた「赤ん坊の泣き真似が得意な老人」でした。一人の老人が山の中で赤ん坊の真似をしながら徘徊していたのです。そしてとある家庭が、「そんなことをしてるとコナキジジが来るよ」といったように、その老人の話を子供のしつけに利用した、というのがコナキジジの真相のようです。


 しかし、この真相では、柳田先生が言うような「抱き上げると重くなって離れず、人の命を奪う」という点(ここは柳田先生も「こしらえ話だろう」とおっしゃっておりますが)や、「一本足」である点、「地震を引き起こす」点など、説明のつかいない点がいくつもあるように思います。これらの伝承はどのようにして生まれたのでしょうか。

 

 

オギャアナキ(徳島県西祖谷山村
夜道で赤ん坊のような泣き声を立てる。行ってみても姿は見えない。負ぶってくれと言って出る場合があるが、負い紐が短いから負ぶえないと言って断らなくてはならない。
(飛騨考古土俗学会編『ひだびと』)

 

 

 本邦ではウブメやオゴメ、川赤子と言った「赤子の声の怪」が多く伝わっています。誰もいないはずの水辺や森の中などで赤子の声だけが聞こえるのです。飛騨考古土俗学会が編纂した『ひだびと』には、オギャアナキという妖怪が記載されています。書籍によっては、このオギャアナキはコナキジジの別名として紹介されることが多いのですが、こちらは「姿が見えない」というコナキジジにはない特徴があります。つまり、オギャアナキは元からコナキジジと同じ妖怪だったわけではなく、あくまで本邦に多く伝わる「赤子の声」の怪異の一つであったと考える方が妥当なように思います。コナキジジの正体は老人でしたが、オギャアナキの正体は恐らく鳥類かと思われます(赤ん坊のような声を出す鳥はそれほど珍しくないようです)。あるいは本当に遠くで赤子が泣いていたのかもしれません。それが伝承の過程で、「赤子の声」という共通項から、コナキジジとオギャアナキは「同じ妖怪の別称」としてまとめられてしまったのではないでしょうか。


 このように本邦における妖怪は、僅かでも共通項が認められれば、同じ妖怪としてまとめられてしまうことあるのです。ここでコナキジジの持つ特性をもう一度振り返ってみましょう。


 まず「重くなる」という特性に関しては、産女(うぶめ)という妖怪との習合であると考えられます。産女(あるいは姑獲鳥)は非常に複雑な成立過程を経ているため、実に様々な特性を持つのですが、おそらくその中でも特に有名な特性が、「赤ん坊を抱いてくれとせがみ、その赤ん坊と抱いてしまうとそれがどんどん重くなる」というものです。コナキジジと産女はどちらも「赤子の怪」、という共通点を持ちます。この共通点から、いつしかコナキジジも産女と同じ特性を獲得したのでしょう。


 ちなみに足が一本、というのは典型的な山の妖怪の特徴です。本邦では山の化け物は一本足でなくてはならない、というような節があります。山精、魃神、一本ただら、片足上臈など、山の妖怪はみな一本足です。山の妖怪の代名詞ともいえる山姥や山爺も、伝承によっては一本足とされることもあります。よってコナキジジも「山の妖怪である」ということから、「山の妖怪なら当然一本足だろう」というように、事後的に一本足という特性を付与されたのだと思われます(ちなみに山の妖怪の足がなぜ一本なのか、という点に関しては様々な議論があります。柳田国男先生は、神への生贄として差し出された人間を普通の人間と区別するために片足を損傷させていたことが起源ではないかと述べておられますし、民俗学者谷川健一先生は山中に住む製鉄民が蹈鞴を踏み続けたことで片足がやられた姿からの連想である、と考察しておられます)。


 このように妖怪は、様々な伝承が錯綜・集合し、一つにまとめあげられていくのです。妖怪のとらえどころのなさはこうしたところにも由来します。たとえば私たちのイメージする河童像(頭に皿があり、背中に甲羅があり、相撲やキュウリを好み、尻子玉を引き抜き…)は、本来別の存在であったはずの様々な水怪の特徴をひとつにまとめたものです。こうした事実からも妖怪がいるかいないかという議論が不毛である理由が垣間見えます。たとえば河童的な特性の一部を備えた未確認生物は実際に存在するかもしれませんが、私たちが想像する河童のあらゆる(とまではいかなくとも多くの)特性を備えた生物となるとまず間違いなく存在しません。これはコナキジジでもやはり同じです。コナキジジは確かにいましたが、その実在のコナキジジが持つ特性は、妖怪としてのコナキジジが持つ特性の一部に過ぎません。実在のコナキジジは確かに老人の姿で赤ん坊の声を出し、山奥を徘徊しているかもしれませんが、重くなったりしませんし、足も二本あるでしょうし、地震を起こす力もないでしょう(たぶん)。