百怪風景

妖怪・怪談の紹介と考察を行うブログです。

はじめに

 言葉というものは多義的であると同時に広大な「意味の広がり」を持っています。たとえば「かわいい」という言葉の持つ意味の広がりは非常に広大で、若い女性のいう「かわいい」の意味が年配の男性には全く理解できない、ということはままあることです。それに同じ世代を生きてきた人同士であってさえも、その人の経験や感性によって、「かわいい」の定義は大きく異なってくるはずです。しかし、それにも関わらず私たちは「かわいい」というその一言で、「かわいい」という言葉が持つ意味やイメージを了解する(あるいはできた気になる)ことが可能です。それはやはり言葉というものが、非常に広大な意味の広がりを持っているからに他なりません。


 しかしこうした言葉のもつ意味の広がり―ある種の懐の深さ、といってもいいかもしれません―が、様々なモノをかなり乱暴に同一のカテゴリーに押し込めてしまう、という事態を引き起こしていることも事実です。ドジなおばあさんも、小さな子猫も、素直な子供も逆に素直でない子供も、人によってはグロテスクにさえ見えてしまうような髑髏のマークなんかも、すべて「かわいい」という同一カテゴリーに押し込められてしまいます。そうなると徐々にそれらの中から共通項を抽出することが非常に困難となり、「かわいい」という言葉の定義は曖昧になっていきます。


 「妖怪」という言葉も同じです。「妖怪」という言葉は実にとらえどころのない概念です。現在私たちが「妖怪」と言われて思いつくものはなんでしょう。「ぬりかべ」や「砂かけ婆」といった故水木しげる先生がお描きになった妖怪たちをイメージする方が多いのではないでしょうか。しかし、これらの妖怪は、実は私たちがイメージするようなキャラクタライズされた「モノ」ではなく、「現象」と呼ぶ方が相応しいものです。たとえば「ぬりかべ」は夜道を歩いていると、急に前に進めなくなる「現象」ですし、「砂かけ婆」も林や森を歩いていると、ぱらぱらと砂が降ってくるという「現象」なのです。


 もちろん「現象」ではなく、「モノ」としての存在が想定されている妖怪たちもいます。「河童」や「野槌(ツチノコ)」といった妖怪は、現在でもなお未確認生物のような扱いを受けていますし、「野衾」(=ムササビやモモンガ)や「磯撫」(=シャチ)のように過去に化け物としてカテゴライズされていたものが、実在の生物として存在が証明されることもままあります。

 

 また「猫娘」や「児啼爺」などのちょっと変な人、非常に失礼な言い方ではありますが、現在であれば、世間から「変質者」と呼ばれてしまうような人たちも「妖怪」として扱われるケースもあるのです。


 つまり「妖怪」という言葉は「現象」や「(明らかな)創作、想像上の生き物」、果ては「ある時代において未確認だった生物」から「変な人」に至るまでを同一カテゴリーに押し込めるような非常に乱暴な言葉である、と言えるのです。これは現代の感覚で言えば、「フェーン現象」と「ピカチュウ」と「ネッシー」、「露出魔」のように、明らかに一概に論じられるはずのないものたちを全て同一のカテゴリーに押し込めているようなものです。どのような議論を想定したとしても、「フェーン現象」と「露出魔」を同じカテゴリーに一括して論じるような場面はなかなか想像できません。しかし、夜道で先に進めなくなる「現象」も、やたらと異性の身体を舐めましてくるいわゆる「変質者」も、どちらも「妖怪」として扱ってしまう、これが現代における「妖怪」という言葉なのです。

 こうした事情がありますから、「妖怪がいるかいないか」などという議論は、どうしても不毛なものにならざるを得ません。たとえば野衾(のぶすま)、すなわちムササビは本当にいましたが、それは昔の人が考えていたように蝙蝠が年を取った存在ではありませんし、火も吹かなければ、壁となって人前に立ちはだかることもありません。よって野衾は「いる」ということもできますが、あくまで昔の人が考えていたような意味での「妖怪としての」野衾は「いない」ということもできてしまいます。また、山に向かって大声を出せば、声が反響し跳ね返ってくる「やまびこ現象」はたしかにありますが、「幽谷響(やまびこ)」なる妖怪的存在はいません(そもそも「現象」である以上、「いるかいないか」のフェイズで論じること自体が不適切です)。


 故水木しげる先生は、こうした多様なカテゴリーを一括した妖怪の多くに形を与え、キャラクター化されました。水木先生の業績や偉大さは言うに及びませんが、キャラクタライズされたことで、妖怪たちから失われてしまったこともやはりあったと言わざるをえません。


 一体何が失われたのか。それはリアリティ、とでも呼ぶものです。妖怪の多くは、実際にその言い伝えが残る場所で生き、暮らしていた土着の人々と密接に繋がっていました。作家の京極夏彦先生も『妖怪の理・妖怪の檻』などの中でおっしゃられているように、キャラクタライズされた妖怪たちは、たしかにどこか懐かしく、人々の郷愁を掻き立てるような要素を包含してはいます。しかしそれらは実際に当時の人々が感じていたリアリティを希薄化させてしまっているのではないでしょうか。


 当ブログでは、あくまで「土着の人々にある種のリアリティを持って受け入れられていたであろう妖怪たち」を、主に柳田国男先生の『妖怪名彙』に記載されている妖怪たちから抜粋し、紹介・考察していきたいと思っています(もちろん『妖怪名彙』に載っていない妖怪も取り上げる予定です)。また折に触れて筆者が採集した怪談の紹介・考察も行っていきたいと考えています。特段独創的な考察や解釈を行うこともしなければ(というより筆者の知識量ではそれは難しい、というのが事実です)、至らないところも多々あるかと思います。しかし妖怪や怖い話が好きな方、少しでも興味のある方はどうぞ暇つぶし程度にご覧になって頂ければ幸いです。