百怪風景

妖怪・怪談の紹介と考察を行うブログです。

じゃんじゃん火

 あれは私がまだ小学生の頃やったかな。

 

 私、高校を卒業するまでは奈良に住んでたんやけどな。その頃住んでた家のすぐ前には大きいお墓があってね。小さい時はそれがすごい怖かったんよ。


 その日はたしかお母さんの買い物についていってたんやけどね。家に着いた時はちょうど日が沈む時分で、空は赤黒い夕焼けやった。

 

 まずお母さんが家の鍵を開けて、ドアをひらいてまだ後ろにおる私の方を振り返ったんや。そしたらな、お母さんの顔が私の方を見た瞬間に、急に真っ青になってん。私は自分がなんか変なんかな、って思った。でも、よく見ると、お母さんが見てたのは私じゃなくて、私の後ろやったんや。それに気付いて後ろを振り返ろうとすると、お母さんが大きい声で「見たらあかん!」って言うた。

 

 でも遅かった。私はもう振り返ってしまってたから。

 

 さっきも言ったように、私の家の前は墓地になってるから、玄関のドアの前におった私の後ろにはお墓の外塀が広がってた。

 

 その上をな。ふらふらと二つの火の玉が漂うみたいに飛んでた。

 

 時間にしたらほんまに一瞬やったけどな。お母さんがすぐに私の腕をつかんで家の中に引き込んでドア閉めたから。私が「お母さん、今の何?」って聞いたら、「あれは見たらあかんもんなんや」って言うてた。

 

 

 

「ジャンジャンビ」
奈良県中部にはこの名をもって呼ばれる火の怪の話が多い。飛ぶときにジャンジャンという音がするからともいう。火は二つで、二つはいつまでも逢うことが出来ぬといい、これに伴う乙女夫川・打合い橋などの伝説が処々にあった(旅と伝説八巻五号)。柳本の十市城主の怨霊の火と伝うるものは、また一にホイホイ火ともいう。人が城址の山に向かってホイホイと二度三度喚ぶと、必ずジャンジャンと飛んで来る。これを見た者は病むというから(大和の伝説)、そう度々は試みなかったろうが今でも至って有名である。
柳田国男『妖怪名彙』)

 

 

 怪談・奇談の採集をしていると、どうもそこに伝統的な妖怪の影が垣間見えるような話に出会うことがあります。本記事冒頭に記載した話は、今から二年ほど前にとある二十代の女性から実際に筆者が聞いた話なのですが、この話に現れる怪異は、ジャンジャンビと言われる怪火と非常によく似ています。


 ジャンジャンビは奈良県各地に現れると言われている怪火です。村上健司編の『日本妖怪大事典』によると、大和郡山市の打合橋では、毎年6月7日に東西から人魂が飛んできて、じゃんじゃんという音を立てながら舞った、という伝説があり、かつてはその霊を慰めるために6月7日には橋の上で舞を奉祀する祭りがあったそうです。


 また、奈良市の白毫寺町では、白毫寺と大安寺の墓地から飛び出る二つの怪火とされており、夫婦川(乙女夫川)の辺りでもつれ合い、またもとの墓地に帰っていく、とされています。これは心中した男女を別々に埋葬したため、二人の魂が火の玉に成って逢瀬を楽しんでいるからだと言われています。


 この火をじっと眺めているとだんだん近づいてくるそうで、一度ついてこられると、たとえ池の中に飛び込んでも頭上を飛び回り、いつまでも離れない、という話も残っています。

 

 昭和63年発刊の『奈良県史一三』によると、奈良市では雨の夜にはジャンジャンビが出て、合戦をするとあります。ジャンジャンビは長い尾を引いた青い火の玉であり、年輩の男の顔が映っており、それは奈良時代に死んだ公卿の怨霊だそうです。さらにジャンジャンビを見ると死に至ることもある、と記載されています。

 

 またジャンジャンビの別名とされるホイホイ火と言われる怪火は、天理市柳本町の怪火であり、安土桃山時代に松永弾正久秀に討たれた十市遠忠の霊と言われており、雨の降りそうな夏の夜に、十市城址に「ほいほい」と呼ぶとやってきて、それを見ると三日三晩高熱にうなされるとされています。

 

 このように、ジャンジャンビ(あるいはホイホイ火)は、そのルーツや特性にはいくつかのバリエーションがありますが、「見た人に祟る怪火」であるところは共通しているようです(むしろそうした共通点があるせいで、本来別なはずの怪異が同じ怪異として認識されているのかもしれません)。人に祟る怪火といえば、「天火」と呼ばれる怪火ですが、ジャンジャンビもやはり天火の一種なのでしょうか。

 

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(竹原春泉・桃山人『絵本百物語』)

「天火」
またぶらり火といふ。地より卅間余は魔道にてさまざまの悪鬼ありてわざわひをなせり。
(竹原春泉・桃山人『絵本百物語』)

 

「テンピ」
天火。これはほとんど主の知れない怪火で、大きさは提灯ほどで人玉のように尾を曳かない。それが屋の上に落ちて来ると火事を起こすと肥後の玉名郡ではいい(南関方言葉)、肥前東松浦の山村では、家に入ると病人が出来るといって、鉦を叩いて追出した。あるいはただ単に天気がよくなるともいったそうである。
柳田国男『妖怪名彙』)

 

 天火は人に祟る怨霊の霊魂のようなものと目されており、火事や病の凶兆と考えられていたようです(また、余談ですが「天火」とは落雷によって生じた火災、すなわち「雷火」の意もあります)。天火は佐賀や長崎、熊本など九州に伝わる怪火なので、奈良に出るジャンジャンビとの関係性は明確ではありませんが(『妖怪名彙』の「テンピ」は、「尾を曳かない」と明記されており、少なくとも『奈良県史一三』の「長い尾を引く青いジャンジャンビ」の記述とは矛盾します)、「見た人は病む」「見た人にわざわいをなす」という点で、通じるところがあります(天火についての詳説をはじめると、コトリバコ並みのボリュームになってしまうのでここでは避けます)。


 筆者にこの話をしてくれた女性は、男運がなく、悪い男性に騙されて多額の借金を背負わされたこともあったそうです。彼女は筆者に身の上話を色々としてくれましたが、たしかにあまり幸福な人生を送っているとは言えそうにありませんでした。もちろん、そうした彼女の不運が、少女時代に見た奇妙な二つの怪火と何かしらの関係があるのかどうかは誰にもわかりません。