百怪風景

妖怪・怪談の紹介と考察を行うブログです。

子取りぞ

「コトリゾ」
出雲地方でいう妖怪。夕方、戸外で遊んでいる子供がいなくなると、子取りぞに奪われたなどという。子取りぞは子供を奪っては脂を搾り、その脂で南京皿を焼くのだという。
(村上健司編『日本妖怪大事典』)

 

 

 妖怪を考える上で、ひとつ非常に重要な視点があります。それは「妖怪が何らかの結果をもたらした」のではなく、「まず結果があり、その結果を説明するために妖怪譚が考え出された」ということです。たとえば、本邦で最も有名な妖怪である河童は、よく人妻を孕ませます。ここでは「河童」という「因」があり、「人妻の妊娠」という「果」が生じているように語られますが、実際は「人妻の妊娠」という「果」が先に存在しています。彼女が妊娠した理由は、間男によるものかもしれませんし、悲惨な事件に巻き込まれたからかもしれません。しかし、そうした「本当の原因」は当然、正直夫に言うわけにはいきませんから、ダミーとしての原因が捏造されます。そこではじめて、「河童にやられた」という「因」が生まれるわけです。このように多くの妖怪は、原因不明の現象(もしくは意図的に原因を秘匿する必要のある現象)に対する説明として生まれてきました。


 コトリゾもそのような妖怪の一つです。コトリゾとはいわゆる「隠し神」の一種であり、子どもを攫う妖怪ですが、「コトリゾの存在」という「因」があって、「子どもが消える」のではなく、「子どもが消えた」という「果」に対してコトリゾが考え出されたのです。


 現代社会においても、子どもが行方不明になる事件は珍しいことではありません。しかし、その多くの理由は「誘拐」や「事故」、「家出」であり、隠さなければならないようなものではありません(むしろ積極的に警察などにその可能性を報告し、協力を仰ぐべきでしょう)。けれども、ほんの数十年前の本邦の村々では、現在とは違った理由で子どもが消えてしまうことがありました。それは「間引き」です。今の社会のように福利厚生が整備されていたわけではない昔の日本において、貧困とそれに伴う飢餓は非常に大きな問題でした。よって、口減らしのために、子どもを殺めるしかなかった家庭もあったのです。そうすると当然、結果として村から一人の子どもが消えることになります。けれども「口減らしのために殺した」などということを大っぴらに言うわけにはいきません。そこで、偽の「因」として考え出されたのがコトリゾなどの妖怪たちでしょう。こうした妖怪が存在する、という言説がある種の常識として共同体に浸透していれば、子どもの消失は不合理な出来事ではなくなります。周囲はなんとなく真相に気が付きながらも、子どもを間引いた家族を咎めることなく「妖怪に子どもを取られた被害者」として扱います(もしかすると明日は自分が自分の子どもを殺さなくてはならないかもしれないのです)。こうした「隠し神」としての妖怪たちは、間引きという行為が当然のように行われていた時代においては、共同体を円滑に営んでいくためになくてはならないものだったのです。


 もちろん、こうした妖怪は、子どもを殺した現実を隠蔽するという後ろ暗い役目だけでなく、子どもを守る役目も持っていました。たとえば、子どもがあまり遅くまで外で遊び、本物の人さらいに拐かされないようにするための「子脅しの道具」として使われることも多かったでしょう。実際、筆者もコトリゾという妖怪は、「子どもの消失」という結果に対する偽の説明として生み出されたというよりは、「子脅しの道具」として生まれた可能性の方が高いのではないか、と思っています。

 

 

小児は夕方に隠れんぼをすることを戒められる。路次の隅や家の行きつまりなどに、隠れ婆というのがいてつかまえていくからという。島根県その他ではこれをコトリゾと謂っていた。(中略)出雲の子取りぞなどは子供の油を絞って、南京皿を焼くために使うなどと、まるで纐纈城かハンセル・グレッツェルの様なことを伝えており、東北では現にアブラトリという名もあって、日露戦争の際にも一般の畏怖であった。
柳田国男『妖怪談義』)

 

 

 コトリゾという妖怪がいつ頃から語られるようになったのかはわかりません。しかし、恐らく、「子どもの油で南京皿を焼く」という属性が付与されるようになったのは、日露戦争の少し前あたりからではないでしょうか。日露戦争の十年前には日清戦争がありました。「南京皿を焼く」という特性には、明らかに人々がコトリゾに、当時の戦争相手であった清の人々、すなわち中国人の姿を重ねていることがわかります。

 

 

「ことりぞう」
むかしことりぞうがでた。大きな袋を持っていて、悪い子をその中に入れて連れて行った。
(広島民俗学会編『広島民俗』)

 

 

 『広島民俗』に記載された「ことりぞう」という妖怪の項には、「子どもの油を絞って南京皿を焼く」などという特徴は記載されておりません(代わりに「悪い子を連れていく」といういかにもしつけのためにつけられたような特性が付与されています)。もちろん伝承地域の異なる「コトリゾ」と「ことりぞう」はそもそも別の妖怪である、という可能性も考えられますが、やはり「南京皿を焼く」という特性は日清戦争前後の人々が、子攫いの正体として中国人を想定していたから、もしくは、戦争の相手国である中国に対する敵対感情が妖怪伝承に影響を与えていたから、という可能性が高いのではないでしょうか。


 現在、「神隠し」という言葉を聞くことはほとんどなくなりました。それは「神隠し」自体がなくなったからではなく、かつてであれば「神隠し」と呼んでいた現象を別の言葉で呼ぶようになったからなのです。誘拐、事故、家出…そして親による子どもの殺害。家出はまだ救いがありますが、他はどれも身も蓋もないような哀しいものばかりです。民俗学者小松和彦先生は、著書『神隠しと日本人』の中で、「神隠しは、真相をも覆い隠してくれるものであった」と述べておられます。子どもが消えた理由を神隠しや妖怪のせいにできるのであれば、「まだどこかで元気でいてくれるかもしれない」とささやかな希望を託すことだってできるのかもしれません。その妖怪がコトリゾでなければ、ということですが。