百怪風景

妖怪・怪談の紹介と考察を行うブログです。

コトリバコ【参】

「コトリバコ」
箱の作り方を教えた男は箱の管理の仕方を残し、ハッカイを持って去っていった。その方法とは、女子どもを近づけないこと、必ず暗く湿った場所に安置すること、箱の力は年を経るごとに弱くなっていくこと、もし必要なくなった場合は、寺では絶対に処理はできないため、ある神を祭る神社に処理を頼むこと、というものだった。
(朝里樹『日本現代怪異事典』)

 

*この記事は前々回の「コトリバコ【壱】」、前回の「コトリバコ【弐】」の続きとなっています。未読の方はまずそちらを先にご覧ください。

 

⑤コトリバコを処理できるMの神社はどこで、何という神を祀っているのか。

 さて、三度目となるコトリバコの考察記事です。今回の記事でいよいよコトリバコの考察は完結を迎えることとなります。最後の考察は本文中に登場するMの神社が一体どこであるのか、です。原話から神社特定につながる記述を引用していきましょう。

 

 

「それでT(S家の前任者の跡取り)と相談したんです。
もしかしたらS父は何も知らないのかもしらない、箱から逃げられるかもしれないと。
そしてまず、S父に箱のことをそれとなく聞き、何も知らされていないことを確認しました。
そして納屋の監視は続け、S家に箱を置いたままにしておくこと
Tは札の貼り替えをした後、しばらくして引っ越すこと(松江に行ったらしいです)
そうすれば、他班からは「あそこは終わったんだな」と思ってもらえるかもしれないから」

 

 

 まず筆者が最も気になったのはこのセリフのなかにある「(松江に行ったらしいです)」という語り手の補足書です。もし語り手が松江市に住んでいるのであれば、誰かの引っ越し先を告げる際、「松江に行ったらしい」という言い方はまずしないと思われるからです。たとえば、自分が名古屋市に住んでいるとして、同じく名古屋市に住んでいる人物が、「同じ名古屋市内で」引っ越しをした場合、「あの人は引っ越して名古屋に行ったらしいよ」などという言い方をすることはありえせん。そして、本文冒頭で「Mの神社は語り手の住む地域にある」ということが明言されていますから、「語り手の住む地域=Mの神社がある地域」と考えて間違いないでしょう。よって、語り手が松江に住んでいないことがほぼ確実である以上、Mの神社の候補地として、松江市にある神社は全て除外して問題ないと思われます。


 さらにAAは隠岐からMの神社がある地域の周辺に逃げてきた、ということになっています。それゆえMの神社がある地域は内陸部ではなく、海に面した地域である可能性が非常に高いと言えます。よってMの神社がある地域は、海に面している「出雲市」「大田市」「江津市」「浜田市」「益田市」のどれか、と考えるのが妥当であると思われます。さらに隠岐からの距離を考えた場合、その中で隠岐から最も近い「出雲市」が、語り手たちの住む地域である可能性が一番高いと思われます。次に気になった個所を引いてみましょう。

 

 

「そいつん家は俺らの住んでるところでもけっこう大きめの神社の神主さんの仕事を代々やってて、普段は普通の仕事してるんだけど、正月とか神事がある時とか、ケコーン式とかあると、あの神主スタイルで拝むっていうのかな?
そういった副業(本業かも)をやってるようなお家。
普段は神社の近くにある住居にすんでます。」

 

 

 上記の描写ではMの神社が「けっこう大きな神社」であることが明記されています(神主が結婚式に派遣されることがあるくらいですから、それなりに大きいのでしょう)。しかし、コトリバコの話全体の様子からも明らかなように、出雲大社伊勢神宮クラスの超有名神社というわけでもなさそうです。そして何より、コトリバコを祓うことができる唯一の神様が祭られている、というのが最大の手がかりかもしれません。


 それではここまでの内容を整理してみましょう。Mの神社は「松江市以外(おそらく出雲市)」にある「けっこう大きな神社」であり、「コトリバコ(間引かれた子どもの体を使った呪物)を鎮めることができる神様を祭っている神社」です。これらの要素を満たす神社は、少なくとも筆者の知る限りではたった一つしかありません。


 それは島根県出雲市にある御井(みい)神社です。御井神社とは安産祈願で有名な神社であり、日本でも非常に珍しい「ある神様」を主祭神として祭っている神社なのです。その神様は、名を木俣神(このまたのかみ)と言います。木俣神とは、大国主命八上比売(やがみひめ)の間にできた神でしたが、八上比売は、大国主命の正妻である須勢理毘売(すせりびめ)の怒りを買うことを恐れ、生まれたばかりの木俣神を文字通り「木の股の間に」捨ててしまいます。つまり木俣神は「間引かれた子どもの神」であり、「コトリバコの素材となった子供たち」と全く同じ境遇にあった神なのです。「木の股に捨てられる」というところも、「木箱に詰められる」という点とイメージ的な相同性があります。それゆえ、コトリバコを鎮めることができるのは、コトリバコの素材にされてしまった子どもたちと同じ境遇にあった木俣神が最も適任なのです(もちろん、筆者のこの考察は間違っているかもしれません。それらしく書いていますが、当然ながら証拠はありませんし、そもそもコトリバコの話自体が創作である可能性が非常に高い怪談です。しかし、たとえ創作であったにせよ、投稿者が御井神社の木俣神の伝承から、コトリバコの怪談を作り上げた可能性はあると思っています)。それでは、最後にここまでの考察をまとめたいと思います。


 まずコトリバコは大陸呪術の影響を受けながらも、日本古来からある神道の「触穢思想」をベースに作られた呪物であり、その原型は鎌倉時代陰陽師、賀茂在継が後鳥羽上皇に伝えたものでした。そして承久の乱で敗れ、隠岐に流された後鳥羽院は、自分の周囲にいたごく近しい者にだけ、コトリバコの原型となった呪法を伝えました。そして時は流れ1868年。隠岐騒動が勃発し、後鳥羽院からコトリバコの呪法を授かった者の子孫であるAAなる人物が隠岐を脱走し、現在の出雲市内にある、とある村落へたどり着きました。


 その部落は酷い迫害を受けており、AAは自分の命を助ける代わりにコトリバコの呪法を村人に伝えます。間引かれた子どもの怨嗟と、穢れを原動力としたその呪物は、単なる仏式では対処できず、たとえ神式であっても精々穢れを祓うことができず、間引かれた子ども達の無念を晴らすことまではできませんでした。よって、コトリバコを鎮めることができるのは、単に穢れを祓えるだけでなく、安産の神であり、間引かれた子どもの神でもある木俣神主祭神とする御井神社だけだったのです。


 さて、コトリバコの考察はこれでおしまいです。もちろん、他にもまだ多くの謎が残っています(AAやハッカイはどこに行ったのか、AAはハッカイをどうしたのか、ハッカイの素材として殺された八人の子どもの名前は何であり、なぜそれを語り手たちは知っていたのか、など)。しかし、それらの考察は他の方々にお任せしたいと思います。


 一番はじめにお断りしたように、筆者はコトリバコを創作であると信じています。いや、正確に言えばコトリバコで語られたエピソード自体は本当にあった話を元にしているのかもしれません(正直その可能性はあると思っています)。その理由は、コトリバコの本編全体を通じて、語り手が実際に経験した場面に限れば、実は一切超自然的なことは起こっていないからです(結局Sの家族も誰も死んでいません)。しかし、仮に実話であったとして、コトリバコなる呪物が、実際に超自然的な力を持っているということに関しては「絶対にありえない」と思っています(「呪いで内臓が千切れる」などというような馬鹿馬鹿しいことが現実に起きるはずがありません)。


 そもそも幽霊や(超自然的な意味での)呪いなどというものは、「この世に物理的な干渉を行わない」という前提があるからこそ、その存在の可能性を担保されています。仮に霊的なものが物理現象に影響を与えるのであれば、それは霊性を剥奪された「単なる物理的な存在」になり下がってしまい、物理的・科学的に観測可能なものである、ということになってしまうのです。

 

 霊というものは「この世のもの」ではありません。否、あってはならないのです。よってもし仮に霊的なものが本当に存在するとしても(筆者自身は霊の存在に関しては否定も肯定もしません)、それはこの物質世界の理とは違った理の中に存在するものなのです。だから、それらが「人間の心」という非物質的なものや、「運」などといった物理現象に還元できないものに対して影響力を持つことはできたとしても、「人間の内臓を直に物理的にねじ切る」などというように、直接的な物理世界への干渉ができるはずはないのです(むしろ宗教学的に考えれば「できるとマズイ」のです)。幼い頃から怪談や妖怪を愛するものとして(そして何より宗教者の端くれとして)、これだけは断言していいと思っています。


 しかしたとえ創作であるにせよ、コトリバコが非常によくできた怪談であることは変わりありません。おそらくこの怪談は今後も多くの興味深い考察や、優れた二次創作怪談を生んでいくでしょう。また、この現実世界において、書物やネットには載っていない習俗や祭祀、呪法が無数に存在することは紛れもない事実です。コトリバコはそうした我々の知らない世界の片鱗を垣間見せてくれるという点においても、非常に素晴らしい怪談と言えるでしょう。最後に、卒業論文並みの分量になってしまったこれらの考察をお読みくださった読者の方々に、心よりの感謝を申し上げます。