百怪風景

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コトリバコ【弐】

「コトリバコ」
その方法はまず最初に複雑に合わさった木の箱を作り、その中身を雌の家畜の血で満たして一週間置き、そして血が乾き切らないうちに蓋をする。それから部落で間引いた子どもの体の一部を入れるが、年齢によって入れる部位が異なる。生まれたばかりの赤子はへその緒と人差し指の第一関節部分までを、七歳までの子どもは人差し指の先とはらわたを絞った血を、一〇歳までの子どもは人差し指の先を入れ、蓋をする。
(朝里樹『現代日本怪異事典』)

 

*この記事は前回の「コトリバコ【壱】」の続きとなっています。未読の方はまずそちらを先にご覧ください。

 

③コトリバコの作り方は何を意味するのか。

 さて、今回の記事ではコトリバコの作成方法に関する謎を考察していきましょう。コトリバコについて検索すると、多くのサイトで、「これは蠱毒(こどく)の一種である」というような考察がなされているのを目にします。また、コトリバコに限らず、呪術系の話に関する考察では、必ずといっていいほど蠱毒と結びつけようとするものが多く見られます。原話の本文内には「*箱の作り方、全部載せるとさすがにやばそうなのでいくつか省きますね」と明記されているため、コトリバコに蠱毒の影響がない、と断言することはできませんが、少なくとも本文中に記載されている情報のみを参照するのであれば、コトリバコはほぼ間違いなく蠱毒の一種などではないと思われます。そもそも正確な呪術の作法というものは徹底的に秘匿されねばならないものであり、一般に浸透することはあってはならないのです。それゆえに、「呪い」といった場合、一般的に認知されている(もちろんオカルト好きの人々一般に、という意味です)数少ない呪法である蠱毒が担ぎ出されることになってしまうのだと思われます。ちなみに蠱毒とは、古代中国より伝わる呪法であり、本邦でも律令制においては天皇の殺害や、国家に対する反逆と同じく、「八虐」の一つに数えられる重罪に規定されていました。律令の解説書である『名例律』には蠱毒について次のように書かれています。

 

 

「蠱に多種ありて、備に知るべからざる。あるいは諸蠱を集め合せて、之を一器の内に置き、久しく相食ませ、諸蠱皆悉く尽き、若し蛇あれば蛇蠱として為すの類なり。

 

 

 要するに蛇や犬、蝦蟇や百足などを一つの容器に閉じ込めて放置し共食いをさせ、生き残ったものを呪術に用いる、という呪法です。具体的な作法は当然一般に伝わっておりませんが、『本草綱目』には、生き残った動物を殺し、干して焼いた灰を呪うべき相手に飲ませる、という旨の記載があります。たしかに「一つの容器に閉じ込める」という点から、「容器=箱」という連想を導くことは容易ですし、そこからコトリバコとの相関性を見出せないとはいえません。また「多くの虫や動物を一つの容器に閉じ込める」蠱毒と、「何人もの子供の死体の一部を一つの箱に入れる」というコトリバコのやり方は、似ていないとも言えません。しかし、コトリバコは蠱毒のように子供たちを閉じ込めて殺し合わせるわけではありませんし、何よりコトリバコでは蠱毒にはない「血」という要素が重要なファクターを占めています。また、蠱毒は確かに呪術ではありますが、結局「生き残った一匹の灰を飲ませる」ということから毒殺の一種であった、とも考えられます。「禍々しい生き物たちを殺し合わせ、生き残ったものこそが最強の毒性を持った生物になるはずである」という、(あくまで当時の人々からすれば)合理的な理由に基づく毒殺方法であった、とも考えられます。よって、「コトリバコに蠱毒の影響が皆無である」とまでは言いませんが、「コトリバコが蠱毒の一種である」という解釈や、「コトリバコは蠱毒を元に考え出された呪法である」という解釈にはさすがに無理があると言わざるを得ません。


 さて、それでは、コトリバコは一体何をベースとした呪術なのでしょうか。この問いに関しては、神道における「触穢(しょくえ)思想」である、と断言してほぼ間違いないように思います。触穢思想とは何か、と言えば簡単に言うと「穢れは伝染する」という思想です。神道においては、「死・出産・月経(経血)」は、「最も穢れたモノ」として忌避されてきました。それゆえ、これらに触れたものは、一定期間の謹慎が要求されていたのです。


 ここでコトリバコに入れるものをもう一度振り返ってみましょう。第一に「雌の家畜の血」です。これはおそらく「経血」の代理であると考えられます(本物の経血を使わないのは、箱一杯を満たすほどの経血の入手が困難だったからかと思われます。もしくは、死血を用いることで、より穢れを強めようとしたのかもしれません)。次にへその緒ですが、これは間違いなく「出産」の穢れでしょう。最後に、間引かれた子どもの血と指先ですが、これは「死者の一部」であり、「死」の穢れそのものです。つまり、コトリバコには、神道で最も忌み嫌われる三つの穢れの全てが閉じ込められており、箱に封じ込めたそれらの穢れを感染力を利用し、女子供を呪い殺す呪物だったのです。


 この触穢思想がコトリバコのベースにあると考えれば、実はコトリバコに関するほとんどの謎が氷解します。たとえば原話の本文中に次のような記述があります。

 

 

「そして箱の中身は、年を経るごとに次第に弱くなっていくということ
もし必要なくなった、もしくは手に余るようなら、○を祭る神社に処理を頼むこと
寺ではダメ、必ず処分は○を祭る神社であること」

 

 

 触穢思想はのちに陰陽道に取り込まれていきますが、元は神道の考えであり、仏教の考えではありません(仏教における穢れは邪念や罪悪といったカルマに悪影響を与える行為や意思であり、伝染するものではありません)。だから、コトリバコは神社でしか処理できず、寺では対処できないのです。また、穢れは時間を置けば弱まる、という特性があります。たとえば死穢であれば30日、産穢であれば7日、という風に、一定期間で穢れは消える(もしくは感染しない程度には弱まる)と考えられていました。コトリバコがいくら強力な呪物だといっても、「穢れ」を用いたものである以上、時間を置けばその威力や感染力は弱まってしまうのです。だから、原話において、Mの恋人であるKは、女性であるにも関わらず、コトリバコに触っても「その時間が短かったから」という(それだけを見れば些か納得のいかいない)理由で何も起きなかったのです。これは、長い時間を経て、コトリバコにある穢れの感染力弱まっていた証拠なのです。次に本文中のこの描写をご覧ください。

 

 

「そしてあの箱は3家持ち回りで保管し、家主の死後、次の役回りの家の家主が葬儀後、前任者の跡取りから受け取り、受取った家主がまた死ぬまで保管し、また次へ、次へと繰り返す。受取った家主は、跡取りに箱のことを伝える。跡取りが居ない場合は、跡取りが出来た後伝える。どうしても跡取りに恵まれなかった場合、次の持ち回りの家に渡す。他の班でも同じです。3家だったり4世帯だったりしますが。」

 


 平安時代、穢れのモデルは次のように考えられていました。たとえばAの家で死人が出た場合、その穢れはAの家族全体に感染します。そしてAの家を訪れたBにも感染し、Bがその穢れを持ち帰ったBの家族全体にも感染します。さらに、Bの家族を訪れたCにも感染しますが、Cが穢れを持ち帰ってもCの家族にはもう感染しません。そして、Cの家を訪れた人物には穢れが感染することはもうありません。つまり、穢れの伝染は三件目で止まり、四件目には完全に消えてしまうのです。コトリバコを三~四件の家で回して管理するのはその名残であると思われます(ちなみにこの触穢思想は、小野不由美先生の『残穢(ざんえ)』という小説にも少しだけ登場します。それゆえ、「コトリバコの投稿者は、もしかすると「残穢」を読み、それを元にコトリバコを創作したのではないか」という可能性を考えた方もいるかもしれませんが、「コトリバコ」は2005年に投稿された話であり、『残穢』の発表は2012年ですので、その可能性はまずありえないでしょう)。


 また、コトリバコに入れる子供の数は七までにすべきであり、八以上は危険とされています。それは、いくつかの考察サイト等でも言及されているように、本邦では「八」という数が単純に「多い」という意味を表す数字だから、で間違いないでしょう。たとえば「八百万の神」の「八百万」は文字通りの数字としての八百万を意味するのではなく、多数のという意味になりますし、「八千代」は「悠久の年月」を表します。つまり、「八」になった瞬間、呪いの威力が跳ね上がる、と信じられていたのでしょう。このように「八」という数字を特別視している辺りにも、コトリバコがやはり日本的な神道の思想をベースにしていることが伺えます。もちろん、「複雑な組木の箱」を用いるあたり等、大陸呪術の影響も見えますが、やはり根本には神道の触穢思想があると思えてなりません。つまり、コトリバコとは、神道の「触穢」の観念をベースに、陰陽道が秘匿していた大陸由来の呪法を組み合わせてつくられた呪物なのです。


 しかし、神道に造詣のある方であれば、「コトリバコが神道の思想をベースにした呪術である」という説に対して、違和感を覚えるかもしれません。なぜなら、MはSの口に自らの血を流し込むという手段を用いてSを救おうとする描写があるからです。前述したように神道において血は穢れですから「血を以て解呪を行う」ということは考えられません。しかし、あの行為は恐らく解呪ではありません。コトリバコは「子どもを産める女性」と「子ども」のみを呪うために作られた呪物でした。「成人男性」には何の効果もありません。つまり、女性であるSに成人男性であるMの血を飲ませることにより、Sの女性性を一時的に薄めようとしたのではないでしょうか。そうすることで、コトリバコの呪いの方向をSから逸らそうとしたのです。お祓いの最中、危険なはずのコトリバコをMがずっと離さなかった理由は、自分の血が注がれたSと、成人男性であるMに同じ血が流れていることをコトリバコに伝える(?)ことで、呪いが改めてSの方へと向かないようにしていたからではないでしょうか。


 またもや膨大な字数になってきましたので、そろそろ筆を置きたいと思います。しかし、その前に四番目の謎である「チッポウやハッカイにはどのような漢字を当てるのか」についてだけは結論を出しておきたいと思います。

 

④「チッポウ」や「ハッカイ」にはどのような漢字を当てるのか。

 これは「コトリバコ」の本文中にもあったように「イッポウからチッポウ」までは「一封から七封」、「ハッカイ」は「八開」でほぼ間違いないように思います。なぜ七までは「封」で八だけが「開」なのかといえば、箱の力により人の手で呪いを制御可能にできるのが七までだからです。先述したように、本邦では八という数字は「多数の」という意味を持ち、七と八の間には明確な断絶があります。つまり、七つまでであれば、複雑な箱によって呪いが暴走することを防ぎ、人の手で制御できる(つまり「封じる」ことができる)けれど、八以降になれば呪いが暴走してしまう(箱では「封じ」られず、「開放」されてしまう)と信じられていた、ということではないでしょうか。もしくは「八以上は作るな」という「戒め」の意味を込めて「八戒」なのかもしれません(ちなみにこの当て字に関する考察に関しては、同じような考察を述べていらっしゃる方々も多数おり、特に筆者のオリジナルというわけではないことをここに明記しておきます)。
 

 さて、いよいよ次回で完結です。次回はコトリバコ最後にして最大の謎である「Mの神社」と「その神社が祀る神様」について考察していきたいと思います。