百怪風景

妖怪・怪談の紹介と考察を行うブログです。

すねこすり

「スネコスリ」
犬の形をして、雨の降る晩に、道行人の足の間をこすって通るという怪物(備中小田)
柳田国男『妖怪名彙』)

 

 

 一週間ぶりの更新です。自粛期間中にも関わらず、利き手を負傷してしまってキーボードが満足に打てず(今もそれほど打てません)、記事の更新が滞っていましたが、また少しずつ更新していこうと思います。


 さて、今回ご紹介する妖怪は「スネコスリ」という妖怪です。水木先生のイラストでは、まるまると太った非常に可愛らしい猫のような姿に描かれているため、スネコスリを猫の妖怪と考えていらした方も多いかもしれませんが、実際は「犬の形」をしています。


 というより、『妖怪名彙』の説明を文字通り受け止めるなら、何も不思議なことは起こっておらず、「それ、普通の犬か狸じゃない?」と思った読者の方も多いかもしれません(筆者もそう思います)。スネコスリは「歩行を妨害する怪」であり、類似の怪異として「アシマガリ」と言われるものがあります。

 

「アシマガリ
狸のしわざだという。正体を見せず、綿のようなものを往来の人の足にからみつけて、苦しめることがあるといっている(讃岐高松叢誌)。
柳田国男『妖怪名彙』)

 

 こちらはスネコスリに比べて若干怪異性が増していますが、やはり正体は狸のようです。また、スネコスリを「人の股の間を潜り抜ける怪」と考えるのなら鹿児島や宮古島に伝わる片耳豚(かたきらうわ)との類似も見出せます。片耳豚は、人の股の間を潜り抜ける妖怪で、これに潜られた人は性的に不能となったり、魂を抜かれたりするともいわれます(片耳豚に関しては、筆者も実地に赴き調査をしたことがあるのですが、非常に長くなるため本項での詳説は避けます)。しかし、スネコスリはこうした片耳豚とも異なり、特に人に害を与えるわけでもないようです。ますますただなついて寄ってきただけの犬(もしくは狸)である可能性が濃厚になってきました。


 では、どうしてスネコスリは妖怪として認知されているのでしょうか。これはやはり静か餅の項でも述べたように「それを怪異と解釈した人がいた」からです。


 少し回り道をしましょう。先日、アメリカの国防総省がUFOの動画を公開し、話題になりました。このニュースにより、「ついにアメリカが宇宙人の存在を認めた!」と一部では盛り上がりをみせましたが、それは違います。


 UFOとは、「Unidentified flying object」の略称で、単に「未確認飛行物体」という意味です。そして未確認かどうか、は観測者側の知識や判断に依存します。よって、(たとえそれが鳥だろうが飛行機だろうがビニール袋だろうがイッタンモメンだろうが)観測者にとって正体がわからない飛行物体は全てUFOなのです。逆に、それが本物のエイリアンクラフト(宇宙人が乗っている乗り物)だったとしても、それを目撃した人が「あ、飛行機だ」と特に気にもとめずに流してしまったとすれば、それはUFOではなくなってしまいます。それゆえ、UFOとは、「(観測者にとって)現状正体不明の飛行物体」という以上の意味はなく、アメリカの公開したUFO動画騒動は、「アメリカの力をもってしても正体を特定できない飛行物体が撮影されることがある」という事実を認めただけであり、「アメリカがエイリアンクラフトの存在を認めた」わけではないのです。


 スネコスリもこれと同じと思われます。たとえば、スネコスリにあった人は、犬を見たことはあったけれども狸を見たことがなかったのかもしれません。そんな人が初めて狸にすり寄られたとしたらどうなるでしょうか。彼(彼女)はそれを「犬のような何か」と形容するしかない。けれども犬ではないことも間違いない。そうなると狸と遭遇した経験は彼(彼女)の中で「不思議な経験」として記憶されるわけです。


 怪異にせよUFOにせよ、そう認定されるかどうかは観測者自身の判断や解釈に依存します。どれだけ当たり前のことであっても、観測者がそれを不思議と思えばそれは怪異なのです。逆に、どれだけ奇怪で不気味な現象であっても(本当にこの世ならざる者や宇宙人の介入があったとしても)、観測者がそれに気づかなかったり、幻覚として黙殺してしまうのであれば、それは怪異ではありません。筆者が度々引用させて頂いている『日本現代怪異事典』の著者、朝里樹先生もおっしゃるように「怪異は人の心に余裕があるときにしか出てこれない」のです。余裕のない世界においては、どんな奇妙なできごとも、差し迫った目前の必要性に押しつぶされ、「怪異に成る」ことはできないのです。筆者としては今回のコロナ騒動でただでさえ隅に追いやられた妖怪達が絶滅しないよう、そっと願うばかりです