百怪風景

妖怪・怪談の紹介と考察を行うブログです。

ヤマノケ

「ヤマノケ」
山形県宮城県の県境の山道に出現したという怪異。肌は白く、片足と首から上がなくなった人間のような姿をしており、目や鼻など顔のパーツが胸についた奇怪な姿をしている。さらには「テン…ソウ…メツ…」という言葉を発しながら両手をめちゃくちゃに動かし、体全体を震わせて片足で跳んでくるという不気味な動きで近づいてくるとされる。また女性に取り憑く特徴を持っており、取り憑かれると人格がヤマノケに乗っ取られるのか「はいれたはいれたはいれたはいれた」「テン…ソウ…メツ…」という言葉を繰り返す、顔が不気味に変化するなどの状態に陥る。そしてヤマノケに憑かれた場合は四九日以内に追い出さねばならず、それを過ぎると一生正気に戻ることはなくなると伝えられる。
(朝里樹『現代日本怪異事典』)

 

 

 ヤマノケは2007年2月7日、2ちゃんねるオカルト版の「死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?157」のスレッドに書き込まれた化け物です。漢字で表現するのであれば、「山怪」、もしくは「山化」でしょうか。また、ヤマノケが邪魅と同じような「山に漂う穢れや瘴気のようなもの」であるのなら、「山穢」や「山気」かもしれません。このヤマノケの話は八尺様やコトリバコ、きさらぎ駅などと同じく、現代の怪談を代表する非常に有名な怪談なので、ご存じの方も多いかもしれません。その正体は飢饉の際に口減らしで殺された女性の霊だ、と語られることがありますが、それは真倉翔先生原作の漫画『霊媒師いずな―Ascension―』における設定であり、創作です。

 

 さて、今回は柳田先生の『妖怪名彙』に記された伝統的な妖怪ではなく、非常に現代的なこちらの化け物について考察を行っていきたいと思います。ヤマノケはどこか滑稽で親しみやすい古典的妖怪とは異なり、人々の不安を煽るような非常に恐ろしい見た目をしています。怪談の内容自体も「過激な恐怖」のみを求めた結果、優れた怪談の持つ懐かしさや美しさや、古典的な妖怪譚から感じられるような人々の生活に密着したリアリティが希薄化しているような印象を受けます。ヤマノケのような妖怪は、完全に私たちの住む生活世界や文化から切り離された、本当の意味で「あちら側の存在」なのかもしれません。


 しかし、それでもこのヤマノケには、過去の妖怪たちの重要なエッセンスが多数見受けられます。まず、ヤマノケもやはり一本足です。児啼爺の項でも言及したように、山の妖怪は足が一本であることが非常に多く、ヤマノケもそうした山の妖怪の特徴を受け継いでいます。「首から上がなくなった人間のような姿をしており、目や鼻など顔のパーツが胸についた奇怪な姿」、という描写は水木しげる先生の描いた「一本ただら」のイラストからの影響が見受けられます。

 

 そして女性にのみ取り憑く、というのも見逃せない特徴です。実際、山の妖怪には子を成すとき、人間の女性を孕ませるとされるものが多いのです。柳田国男先生の『遠野物語』にも、人間の女性に子を産ませて、その子を食らう山男の話が出てきます。また、女性に子を孕ませる妖怪といえば玃(やまこ)が有名でしょうか。漫画『地獄先生ぬーべー』や、『霊媒師いずな』にも登場した妖怪ですから、聞いたことがある方もいるかもしれません。寺島良安編の『和漢三才図絵』では、「やまこ」は「かく」とも呼ぶといい、『本草綱目』を引いて次のように解説されています。

 

 

「玃とは老猿のことで、猿よりも大きく、色は青黒い。人のように歩行し、人や物をよく攫う。雄ばかりで雌はおらず、そのため、人間の婦女をよく捕らえて子を生ませるという。」

 

 

 このように女性にのみ取り憑く、という点も山の妖怪のツボを押さえた特性と言えそうです(ちなみに余談ですが『地獄先生ぬーべー』の原作者である真倉翔先生は「玃に雌がいない理由として、玃に孕まされた女性が生んだ子が雄ならば玃になるが、雌であるなら人間の女性になるのかもしれない」という面白い考察を述べておられます)。また、このヤマノケの怪異をもとにした二次創作(一応実話怪談という体裁をとっていますが、筆者にはどうしても創作のように見えてしまいます)、「ヤマノケの真実」(もしくは「もう一つのヤマノケ」)というこれもまた2ちゃんねるで語られた怪談の中に、以下のような記述があります。

 

 

ヤマノケは、人間の情事による快感が大好きな、下劣な妖怪だ。男と女ではその快感は女の方が勝るため、ヤマノケは女に取り憑く。ヤマノケは憑いた後はひたすら自慰を繰り返すらしい、その人間が死ぬまでずっと。ヤマノケは死なないので、その人間が死んだら、また新しい人間に取り憑く。ヤマノケを落とすのに一番効果的な方法は、苦痛を与え続ける事と、またはこの上ない大きな苦痛を与える事。
(2chの怖い話『ヤマノケの真実』より)

 

 

 この話では、謎の男性がヤマノケに取り憑かれた少女を妊娠させ、その出産の痛みでヤマノケを追い出すことに成功します。これは元の話にある「ヤマノケが女性にのみ取り憑く」というところから、「女性に取り憑く=好色」という風に連想を膨らませ、玃などの山の妖怪が人間の女性を孕ませるという伝承から「出産」というキーワードを絡ませて作者が考えた創作だと思われます。この「ヤマノケの真実」に関しては、本項であまり詳細に取り上げることは避けます(長くなりますし、なにより「ネタにマジレス」をするような真似は野暮なことです)。気になる方は各自で検索してみてください。

 

 次に「テン…ソウ…メツ…」という不思議な呪文(?)です。この言葉には一体どのような意味があるのでしょうか。時々、ネットなどで見かける説では、「転」(女性に乗り移る、すなわち女性に「転」じる)、「操」(女性を操る)、「滅」(女性を滅ぼす)である、と言われています。果たして実際はどうなのでしょうか。まずは元の話を見てみましょう。

 

 

今思い出しても気味が悪い、声だか音だかわからん感じで「テン(ケン?)…ソウ…メツ…」って何度も繰り返してるんだ。
(2chの怖い話『ヤマノケ』より)

 

 

 さて、こちらの描写からもわかる通り、ヤマノケが本当に「テン…ソウ…メツ…」と言っていたのかどうか、実は体験者にもよくわかっていないようです。あくまで「そのように聞こえた」だけであり、本当は何と言っていたのか不明なのです。それゆえ、この体験談だけから「テン…ソウ…メツ…」という言葉の謎を解くことはほとんど不可能に近いと思われます。


 よって当然牽強付会めくことにはなりますが、この話の全容を捉えた上で、「テン…ソウ…メツ…」の意味を一応考察してみましょう。メタ的な発想ですが、話の結末を考えると、恐らくヤマノケは「ソウ」ではなく「ショウ」、最後は「メツ」ではなく、「メッ」と言っていたのではないでしょうか。この話では、ヤマノケは体験者の娘に乗り移ります。つまり、人間の女性に成り代わってしまう(生まれ変わってしまう)わけです。その結末から逆算すれば、ヤマノケの言葉は「テン…ソウ…メツ…」ではなく、「テン…ショウ…メッ…」。漢字に直せば、「転」「生」「女ッ」。つまり「転生女」となり、女に生まれ変わろう(成り代わろう)としているヤマノケの言葉として、それなりに妥当なものになります。


 次に、女性に乗り移ったヤマノケは「はいれたはいれたはいれたはいれた」と繰り返します。これは順当に解釈するのであれば「女性に入れた(=取り憑くことができた)」ということでしょうか。この怪談の中でも特に不気味で印象的なシーンではありますが、「ヤマノケって日本語しゃべれたんだ…いつ覚えたんだろう?」という一抹の疑問が頭をよぎる場面でもあります。あの不気味なフォルムですから、人間と会話するチャンスはそう多くなかったと思われるので、僅かな機会で「はいれた」という「音」とその意味を覚えたのでしょうか。ヤマノケは意外と頭がいいのかもしれません(首から上はないらしいですが)。


 そしてヤマノケが入ると、四十九日以内に追い出さなければ、憑かれた人物は一生正気に戻らないとされています。四十九日は、仏教では「中陰」と言って、死者が次の命に転生するまでの間の期間です(ここにも「転生」というキーワードが関係しています)。もしかすると、ヤマノケに憑かれた者は、その時点で死んでしまうのではないでしょうか。だから、四十九日後、次の命に転生するまでに、ヤマノケを追い出し、死者を肉体に引き戻さなければならないのかもしれません。

 

(*ちなみに、これは何の根拠もない筆者の妄想ですが、「テン…ソウ…メツ…」(に聞こえる言葉)は元々何かしらの魔祓いの呪文の一部だったのではないでしょうか。怪談で語られるヤマノケは、女性に乗り移ります。よって、この怪談に登場するヤマノケも、「元はずっと昔にヤマノケに乗り移られた人間だった」のかもしれません。その人物は高名な拝み屋か何かであり、山に生じた穢れた気であるヤマノケを払うため、山中で呪文を唱え続けていた。しかし、結局ヤマノケに憑依され、自身がヤマノケになってしまった。ただ、それでもその人物は強い霊力をもっていたので、ヤマノケになった今も自我の残滓は完全には消失せず、もはや途切れ途切れになり、意味もわからなくなった魔祓いの呪文を唱え続けている…ということです。自分で書いていてそれはないだろう、と失笑してしまいましたが、こういう馬鹿馬鹿しい妄想をするのも現代怪談の楽しみ方の一つであると思っています。また一応この「元人間説」であれば、怪談に登場するヤマノケがなぜ日本語を話せるのか、という謎も解消できます。)


 最後に、インターネット等ではヤマノケの話の舞台となった場所は、宮崎県と山形県の県境にある田代峠であるとよく言われています。田代峠は1968年に飛行機の墜落事故があった場所であり、近年では心霊マニアから心霊スポットとして注目されています(筆者としては誰かが悲惨な亡くなり方をした場所を心霊スポットと称し、下世話な興味で娯楽の一環として消費するという行為は、品のいい行いとは思えません)。また、田代峠ではUFOの目撃情報も多いようです。しかし、有名な心霊・UFOスポットであるにも関わらず、ヤマノケに関する怪異譚の続報がほとんど見当たらないことを見ると、やはりヤマノケは「お約束」的な山の妖怪の特徴を詰め合わせ、そこに作者が想像できる限りの不気味なフォルムを纏わされて生まれた、悲しい妖怪だったのかもしれません。「お化けは死なない」といいますが、むしろ多くの妖怪は人の営みを離れては生きていけないのです。