百怪風景

妖怪・怪談の紹介と考察を行うブログです。

滑瓢

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鳥山石燕画図百鬼夜行』より「ぬらりひょん」)

 

 ぬらりひょん(滑瓢)と言えば、ゲゲゲの鬼太郎などにも登場する非常に有名な妖怪です。筆者は未読なのですが、『ぬらりひょんの孫』という漫画作品も流行していたので、御存知の方も多い妖怪なのではないでしょうか。

 

 よく児童向けの妖怪図鑑などでは、『夕暮れ時に勝手に人の家に上がり込み、その家の主人のように振る舞う妖怪であり、その傲岸不遜な態度から妖怪の総大将とも言われている』といった旨の解説がなされることがあります。しかし、この説明は民俗学者である藤澤衛彦先生の『妖怪画談全集 日本篇 上』における以下の記述を元にしています。

 

まだ宵の口の灯影にぬらりひょんと訪問する怪物の親玉

( 藤澤衛彦先生『妖怪画談全集 日本篇 上』)

 

 この記述は、何かしら対応する伝承が存在するわけではなく、あくまで藤澤先生が石燕の『画図百鬼夜行』に描いた「ぬらりひょん」(本記事冒頭の参考画像参照)の状況を想像して説明しただけである、と言われています。そして、水木しげる先生が漫画作品の中でその設定を踏襲したため、「ぬらりひょん=妖怪の総大将」という図式が定着したのだと考えられます。

 

 また、非常に稀ではありますが、「ぬらりひょんは、神棚に祀られ、迎え入れられていた客人神(まろうどがみ)が妖怪化したものである」という説を見かけることがあります。この説は真倉翔先生原作の漫画『地獄先生ぬーべー』の第69話『ペテン師妖怪!?ぬらりひょんの巻』が元ネタと考えて間違いないでしょう。ちなみに、『地獄先生ぬーべー』の作品内では、『聖城怪談録』という書物を論拠として、「ぬらりひょんがいつの間にか家の中に上がり込む旅の僧侶のような姿をした妖怪」という説明を加えていますが、これはおそらく『聖城怪談録』内の『時枝勘右衛門宅異人を見る事』の記述を元にしていると考えられます。そこには確かに、家宅に勝手に立ち入って、何をするでもない怪異の話が語られているのですが、それがぬらりひょんである、とは一切明言されておりません。

 

 さて、ここまでで、一般的なぬらりひょんにまつわる説明を打ち消してきたわけなのですが、それでは実際にぬらりひょんとはどういう妖怪なのか、と言えばそれは一切わからない、というのが現状と言わざるを得ません。石燕の描いた「ぬらりひょん」の絵には、駕籠から飛び降りる遊び人風の老人が描かれていますが、これは単なる言葉遊びであり、ぬらりひょんの実態を伝えているわけではないようです。江戸時代では、「駕籠などの乗り物から出る様」を「ぬらりん」と言い、「遊郭通いの遊び人」を「ぬめり者」と言いました。ぬらりひょんを「ぬらりんと駕籠から飛び降りるぬめり者」として描くことで洒落ているわけです。

 

 一応、実際に存在する伝承として、岡山県の瀬戸内海に現れるぬらりひょんの話があります。ぬらりひょんは海に浮かぶ人の頭くらいの大きさの妖怪であり、捉えようとしてもぬらりくらりと人の手をすり抜けると言います(しかし、このぬらりひょんは、タコやクラゲを妖怪視したもののように思え、我々がよく知るぬらりひょんとは違う存在であると解釈されることが一般的です。ただ、石燕より前の時代に描かれた佐脇崇之の『百怪図巻』などの「ぬらりひょん」を見ると、さらに頭が大きく、その形状もよりタコやクラゲの頭に近づいているようにも見えるので、筆者としては一概に別の妖怪である、とも言い切れないのではないか、思っています)。

 

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(佐脇崇之『百怪図巻』より「ぬらりひょん」)

 

 このように、明確な伝承が残っておらず、非常にとらえどころのない妖怪であるぬらりひょんですが、唯一残っている伝承も(物理的に)とらえどころのないものとなっています。ちなみに「ぬらり」とは、「滑らかでよく滑る様」であり、「ひょん」とは「思いがけない、意外な」と言った意味です。つまり、ぬらりひょんとはその字義からして、「非常にとらえどころのない、思いがけない」妖怪なのです。もしかすると「とらえどころのない様や状況」それ自体を妖怪化(今風に言えば擬人化でしょうか)した存在こそが、ぬらりひょんという妖怪の正体なのかもしれません。