百怪風景

妖怪・怪談の紹介と考察を行うブログです。

燈無蕎麦

「明かりなし蕎麦」

江戸本所七不思議の一つ。本所南割下水に毎晩出ていたという明かりもなく人もいない蕎麦の屋台。誰かが明かりを消したのかと、行灯に火を入れてみても、すぐに消えてしまう。そうこうして帰宅すると、その家には必ず不幸があるといわれた。

(村上健司編『日本妖怪大事典』)

 

*この記事は、昔やっていたブログに書いていたものを加筆修正したものです。

 

 「あかりなしそば」とは、江戸時代の本所(現在の東京都墨田区)に現れた怪異です。

 本所南割下水に毎晩のように二八蕎麦の屋台(二八蕎麦とは、蕎麦粉8:小麦粉2の配合で練られた蕎麦のこと。その割合が語源とも、蕎麦一杯の値段が十六文であったため、二×八が由来とも言われている)が出ていましたが、そのうちの一つに行灯も灯さず、店のものが誰もいない屋台がありました。

 それを見つけたある男が不審に思い、行灯に火を灯して店主が来るのを待っていたところ、いつまで経っても誰もやって来ません。

 仕方なく諦めて家に帰ると、さっきまで元気だった家人が病に伏せ、そのまま亡くなったといいます。

 この怪異は本所七不思議という本所に纏わる怪談の一つで(七不思議といいますが、実際の怪談の数はまちまちで、数え方によっては九つほどあります)、燈無蕎麦の正体は狸ではないかと言われています(本所七不思議自体、置行堀、足洗邸、狸囃子など、何かと狸を犯人にしがちです)。

 さて、この怪異、実は特におかしなことは何も起きていません。たまたま灯りのついてない屋台の蕎麦屋をみつけた日、家に帰ると不幸があった、というだけの話で偶然の一言で片づけることはたやすいでしょう(そもそも家人の不幸と蕎麦屋の行灯に火を灯したことの間に因果関係を見出そうとする方が無理があります。怪異とは、体験者が怪異として解釈したからこそ怪異たり得るのです)。しかしそれではあまりおもしろくないので、少し妄想をふくらませてみたいと思います。これは、手癖は悪いが子供想いな、そんな男の物語です。


 ある日、男の家人(おそらくそれはまだ幼い息子か娘だったのではないでしょうか)が「蕎麦というものを食べてみたい」と言いました。彼(あるいは彼女)は、今まで蕎麦というものを食べたことがなかったのです。

 男は我が子の頼みを聞き、近くの通りに出たところ、ちょうど店主が不在の屋台蕎麦がありました。

 男は店主が不在なのを良いことに、屋台から蕎麦を盗み出し、そのまま家に持ち帰って子どもに食べさせました。

 するとなんということでしょう。我が子は急にのたうち回り、やがて死んでしまいました。彼の子どもは今の言葉で言うところの重度の蕎麦アレルギーだったのです。

当然男は驚きました。それからこの話を人に語りました。もちろん「灯の灯っていない蕎麦屋に行灯を灯してしばらく待っていたが、誰も来る気配がなかったので、蕎麦を盗み出し、子に食わせたところ、子が倒れ、そのまま死んだ」という話から、「蕎麦を盗み出して子どもに食わせた」という部分を省いて。

そしてたまたま店主が席を外していたせいで蕎麦を盗まれた屋台の話は、厄災を呼ぶ恐ろしい蕎麦屋の怪異の噂として、人口に膾炙することになったのです。

もちろんこれはただの妄想です。何の根拠もないただの空想に過ぎません。けれども、実際に怪異に遭遇した人にも(いささか運のないものだったにせよ)確かに人生はあったのです。彼らは決して名前のないAさんなどではありません。時には怪異を通じて、そういう人たちの人生に空想を巡らせることも面白いかもしれません。