百怪風景

妖怪・怪談の紹介と考察を行うブログです。

籠女籠女

 久々の更新になります。今回は、昔に一度、別のサイト(現在はもうやっておりません)で書いた記事の再録になります。

 

 これはAさんという50代女性から聞いた体験談です。エピソード自体は非常に短く、すぐに終わります。まずはこちらをご覧ください。

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 今から20年ほど前、Aさんはとあるマンションに引っ越した。駅からも近く、悪くない立地であるにも関わらず料金は非常に安かった。もちろん事故物件である、というような事実も確認できなかった。Aさんは今回の引っ越しにとても満足していた。

 しかし、そのマンションに引っ越してからというもの、Aさんは毎晩夜中の2時ごろに目を醒ますことになった。それは外から子どもたちーそれも女の子どもたちだーの遊ぶ声が聞こえてきたせいだ。

 子ども達は何度も何度も花一匁とかごめかごめを繰り返しているようだった。

 近所に子どもが遊ぶような公園もない。そもそも深夜の2時である。こんな時間に子どもが遊んでいるとも考えにくい。それに一人二人の声であれば、非常識な親が近所に住んでおり、こんな時間まで子ども遊ばせているのだと考えることもできた。しかしそう解釈するには子どもたちの声はあまりにも多過ぎた。

 それからAさんは毎晩その声に悩まされた。カーテンを開けて外を見ても、それらしい子どもたちは何処にも居ない。毎晩、ただ声だけが聞こえた。Aさんは僅か数週間でそのマンションを引っ越したという。

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 花一匁とは童歌であり、またそれに合わせて仲間を取り合う遊びです。
歌詞は地方によって異なりますが、Aさんの住んでいた地方(念のため伏せます)を考えると、以下のうちのどれかが歌われていたと思われます。

勝って嬉しい花一匁
負けて悔しい花一匁
箪笥長持ちどの子が欲しい
あの子が欲しい
あの子じゃ分からん
相談しましょ そうしましょ

故郷求めて花一匁
匁、匁、匁
花一匁 ◯◯ちゃん取りたい
花一匁 勝って嬉しい花一匁
負けて悔しい花一匁

勝って嬉しい花一匁
負けて悔しい花一匁
隣のおばさん一寸来ておくれ
鬼が怖くて行かれません
御釜を被って一寸来ておくれ
御釜が無いので行かれません
お蒲団被って一寸来ておくれ
お蒲団破れて行かれません
あの子が欲しい
あの子じゃ分からん
相談しましょ
そうしましょ

 恐らく全国的には三番目が一番有名なのではないでしょうか。また、二番目に関しては節回しが他の二つとは異っているように見えます。続いてかごめかごめの歌詞を記載しておきます。

かごめかごめ
かごのなかのとりは
いついつであう
よあけのばんに
つるとかめがすべった
うしろのしょうめんだあれ

 これが現在流布している一般的なかごめかごめの歌詞です。この歌詞が広まり始めた時代に関しては諸説ありますが、少なくとも明治時代以降であるようです。特に「うしろのしょうめんだあれ」に関しては、大正時代までの資料には確認されていません。それではそれ以前、江戸時代までの歌詞はどのようなものだったのでしょうか。江戸時代までは以下に示す歌詞で歌われていたようです。

かごめかごめ
かごのなかの鳥は
いついつでやる
夜あけのばんに
つるつるつっぺぇつた
なべのなべのそこぬけ
そこぬいてたもれ

 この歌詞は1820年に編纂された「竹堂随集(ちくどうずいしゅう)」で確認でき、少なくとも1751年から1772年の間頃にはこのような歌詞で歌われていたようです。

 花一匁にしろかごめかごめにしろ、数々の都市伝説的な解釈があることは有名です。

 特に人口に膾炙したものとしては、花一匁は人身売買の暗喩であり、かごめかごめは徳川の埋蔵金の在り方を示しているとか、囚人の打ち首を歌っている、といったものでしょうか。もちろん真実はわかりませんし、そもそも童歌ですから、深い意味があると考える方が間違っている、という可能性も高いでしょう。

 ですが、筆者は今回、このAさんの怪談を採集した際に、この二つの歌が、何を表していたのかについて、一つの解釈にたどり着きました。

 それはどちらも「遊廓に買われた村の娘たちの歌である」という解釈です。

 この解釈自体はさして目新しいものではありません。たとえばウィキペディアにも「かごめかごめの歌詞全体解釈の例」の中の一つに「遊女説(提唱者不明)」という記載もあります。しかし、それほど説得力のある根拠は明記されていませんでした。

 ここから先は完全に筆者の個人的な解釈になります。当然ソースとなる文献もなければ、とても学術的な考察とも呼べるものではありません。甘い部分も多々あるでしょう。あくまで恥を承知で書かせて頂きたいと思います。

 花一匁の花とは古来より「女性」の暗喩として使われている言葉であり、一匁の匁(もんめ)とは、当時の銀貨の量を表す単位のことで、その価値は小判一枚の60分の1を指します。

 よって「花一匁」とは「女性が非常に安い値段で買われていく」ことを指すのではないでしょうか。

 また「勝って嬉しい花一匁」とは、元々は「買って嬉しい花一匁」ということだったのではないでしょうか。

 つまり安い値段で女性を仕入れることのできた女衒(もしくは遊郭)の立場から歌われたフレーズなのです。

 そして「負けて悔しい花一匁」とは、安い値段で売られた女性側の立場かは歌われたフレーズであり、値段を「負けた」(自分の身体を安売りした)という意味と、さらに「負ける」というのは「負う」とも読めることから、家族の借金を「負わされて悔しい」という掛詞になっているのではないでしょうか。

 二つめの歌詞の「故郷求めて花一匁」もひとりの村娘が自分が遊女としてお金を稼ぐことで故郷の家族を救うこと、そしていつか年季が明けて故郷に帰れる日を夢見て今日もまた安い値段で花を売る自分自身の悲哀を歌っているようにも受け取れます。

 三つめの歌である「隣のおばさん一寸来ておくれ」から始まる掛け合いも、結局は人買いに買われていく自分のことを、近所の村人達の誰もが適当な言い訳をつけて助けに来てくれないことを表している、と考えられます。

 さて、次にかごめかごめです。

 

 これはもともとは「籠女籠女」ではなかったのかと思われます。籠女とは一般的には「籠を抱いているような姿の女性」すなわち身重の女性、妊婦のことを指します。

 けれども今回は単純に妊婦と解釈するよりも次の歌詞との繋がりを考慮した上で考察を進めたいと思います。

「かごのなかのとりはいついつでやる」、漢字に直すと「籠の中の鳥は何時何時出遣る」であり、ここで言う籠とは「遊廓」のことではないでしょうか。

 江戸時代、最大の廓(くるわ)であった吉原遊廓は巨大な牢獄のようなものでした。遊女と言えば、華やかな花魁のイメージが一般的ですが、実情、彼女たちは地方の山村などから借金の肩代わりに買われて来た田舎の娘たちがほとんどでした。今のように便利な避妊具もなければ、シャワーもなかった時代です。衛星面は酷いもので、当時の遊女はほぼ確実に皆梅毒にかかっていたといいます。一度吉原に来ると親の借金を返しきる、もしくは懇意の客が身請けをしてくれる以外には何があっても外に出ることはできませんでした。脱走に失敗すれば、見せしめのために命に関わるような折檻を受けました。まさに廓は遊女にとって巨大な籠であったのです。

 「籠の中の鳥」とは、もちろん遊廓に閉じ込められた遊女のことであり、彼女たちは「いつになれば出ることができるのか」と歌っているのす。つまり籠女とは、籠の中の女、すなわち遊女のことを表すのではないでしょうか。

 「よあけのばんに」以降の歌詞の解釈については江戸時代のものを用いることにします(現代に流布しているかごめかごめの考察は、少しネットを探せば至るところで見つけられる上、あくまでここで取り上げたいのは「かごめかごめの本来の意味」だからです)。

 「夜明けの晩」という一見矛盾した表現も、遊女の歌という解釈であれば、特段おかしなものではなくなります。朝まで客の相手をする遊女からすれば、夜明けは寝る時間であり、彼女たちからすれば夜明けこそが「晩」なのです。

 「つるつるつっぺぇつた」とは「ずるずると引きずった」という意味です。これも夜明けまでずるずると客の相手をさせられていたということ、また人買いに引きづられて遊廓に売られてきたということ、と二つの意味がかかっていると解釈できます。

 最後の「なべのなべのそこぬけ そこぬいてたもれ」ですが、これは誰かが自分を身請けしてくれてることを祈っているように聞こえます。「なべのそこぬけ」とは「廓から抜ける」ことを指し、「そこぬいてたもれ」とは「(私を)そこから抜けさせてください」という意味ではないでしょうか。

✳︎ここで言う「そこ」とは、場所を指示する「そこ」(つまり廓)と、「底」のようなひどい場所、という意味がかかっている可能性があります。

 しかし、なべのなべのそこぬけには、もう一つの意味が掛かっていると思われます。


 やはり籠女とは先述した通り、妊婦の意味も掛かっているのではないでしょうか。廓では客との間にできた望まれない子のことを「鬼子」と言いました。客の子を妊娠した遊女は堕胎小屋に連れて行かれ、現代では考えられないような方法で無理矢理堕胎をさせられたいいます。つまり「なべのそこをぬいてくれ」とは、客との間にできた望まれないこの子を抜いてくれ、という意味も掛かっているのかもしれません。

 再度お断りさせていただきますが、これらの話は全て筆者の解釈に過ぎません。詳しい方が見ればおかしな点も多々あることでしょう。しかし、あくまで個人的に、ではあるのですが、この解釈は意外と的を得ているのではないかと思ったりもしています。

 その理由は、Aさんの体験談の中で、深夜に女の子たちが歌っていたのが「花一匁」と「かごめかごめ」だったから、です。彼女たちは何百年も前に遊廓へと売られていった名もなき女の子達だったのかもしれません。なぜならAさんのマンションのあった場所のすぐ傍には、昔、遊郭があったからです。