百怪風景

妖怪・怪談の紹介と考察を行うブログです。

猫娘(嘗女)

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(速水春暁斎『絵本百物語』)

猫娘」(阿州の奇女)
阿波の国にさる豪家の娘、きりやう諸人に勝れしが成因果にや、唯男をねぶるのくせ有りといいはやしけるが、或若者彼が容色にめでて媒人をたのみ彼家に入家し、既に閨房に入りけるが、娘はやがて婿をとらへ、面てより足先までことごとくねぶりけるに、その舌ざらざらと猫の舌のごとくにしてこらへがたく、早く逃げ帰りぬ。夫より此女を「猫娘」と異名せしとなり。
(速水春暁斎『絵本小夜時雨』)

 

「舐め女」
化かしたる 客を送りて 後ろから 長き舌出す なめ女かな

                             墨縄

(『狂歌百物語』より)

 

 

 猫娘、といえば鬼太郎のガールフレンドですが、今回紹介する猫娘は「嘗女(なめおんな)」(『狂歌百物語』では「舐め女」)とも呼ばれるもので、恐らく鬼太郎の猫娘とはあまり関係がありません(後述します)。


 速水春暁斎の『絵本小夜時雨』には「阿州の奇女」という名前で猫娘の話が載っています。猫娘は阿波の国の富豪の娘で、飛びぬけた器量を持っていましたが、やたらと男性の体を舐めまわすという奇癖を持っていたため、なかなか縁談がまとまりませんでした。しかし、ついにある若者が、彼女の容姿や豪商の娘という身の上に惹かれ、入り婿となりました。けれども、初めての夜。男は顔から足の先に至るまで、ありとあらゆるところを舐り回され、しかもその舌がざらざらとしていてまるで猫のようであったことから、とうとう耐えられなくなって(何に耐えられなくなったのか、は定かではありません)、逃げ出してしまった、ということです。


 さて、現在の観点からすれば特に奇妙なことは何一つ起こっておらず(しいて言えば舌がざらざらしていた、という程度でしょうか)、この猫娘は妖怪には見えません。『日本妖怪大事典』の編者である村上健司先生も「妖怪ではなく、奇人の類である」とおっしゃっています。また、日本近世文学を研究しておられる近藤瑞木先生は『百鬼繚乱』の中で、「この種の話の根底には、良縁に恵まれない高嶺の花に対して、悪意のある幻想を生じる、大衆的な心理がある。絵の男の表情は複雑で、嫌がっているのか、悦んでいるのかよくわからないようなところがある」と述べていらっしゃいます。


 口淫の歴史は古く、古代インドの性愛論書『カーマ・スートラ』にもその描写があり、本邦では『日本霊異記』(822年頃に編纂されたという説が一般的です)に息子の男性器を吸う母親の話が出てきます。江戸時代の遊郭などでも一般的に行われていたようです。しかし、現代とは異なり衛生状態もよくなかった時代(江戸っ子は毎日銭湯に行っていた、と言われますが、水が貴重であったため、女性は月に数回しか洗髪をしませんでしたし、現代とは異なり、皆、「身体を洗う前」に湯舟に入っていました。そもそも銭湯という場所の衛生事情がそれほど良いものではなかったのです)、「全身を隈なく舐めまわす」という行為はやはりかなり不衛生で常軌を逸した行為であったことが伺えます(もし現代人が江戸時代にタイムスリップした場合、少なくない方々が妖怪認定されてしまうかもしれません)。


 コナキジジもそうだったように、かつて本邦では、「一般的な在り方から逸脱した人物」も化け物としてカテゴライズされていました。しかし、猫娘はコナキジジとは異なり、「抱き上げると重くなる」とか「地震を起こす」といったような合理的には説明できないような非人間的な属性が付与されていないことは注目に値します。その理由としては、コナキジジのように「何らかの共通項を持つ類似の妖怪」と習合することがなかった、ということもあるのでしょうが、何より当時の社会においては、「全身を舐めまわす」という行為自体が、それだけで十分に非人間的な属性だったからなのかもしれません。

 

 

涎たれ 接吻を狙う 色魔さえ 舐め女には 逃げ出すらむ

 

 

 大正5年発刊の眞木痴嚢の『狂歌化物百首』にもこのような歌があることから、近藤瑞木先生は、「人を舐める女の妖怪として知られるものがあったのかもしれない」と述べておられます。「垢嘗め(あかなめ)」といい「天井嘗め」といい、「舐める必要のない場所を舐める」という行為自体が、江戸の人々には不気味さや異様さの象徴だった可能性は高そうです。


 また1769年、江戸の浅草では猫のような顔をした女性を「猫娘」と称して見世物にしていたという記録があり、藤川寛の『安政雑記』にも1850年頃の牛込に、「猫小僧」とあだ名された「まつ」という名の少女がいたという話が載っていますが、現代で言うところの「障碍」を扱うデリケートな内容になる上、本項の猫娘とは無関係なので詳説は避けさせて頂きます。


 最後に、鬼太郎に登場する「猫娘」というキャラクターですが、これはほぼ間違いなく水木しげる先生のオリジナルキャラクターであり、本項でご紹介した「絵本小夜時雨の猫娘」とは無関係と思われます。猫娘の原型になったキャラクターは、水木先生の貸本『怪奇猫娘』に登場する「みどり」という女性であり、彼女は魚を見ると「顔が猫になる」という奇病を患っています。そしてその原因は、みどりの父が「猫とり」を生業としており、巨大な黒猫を殺害した祟りである、という設定です。みどりは祟りによる奇病のせいで見世物にされ、不幸な最後を遂げてしまいますが、あくまで人間の女性として描かれています(よって、どちらかといえば、前述した「浅草で見世物にされた猫娘」や『安政雑記』に記載された「まつ」のような少女から着想を得られた可能性の方が高そうです)。また、『鬼太郎夜話』には、「寝子」という名前のオリジナルキャラクターが登場しますが(こちらも現在の猫娘の原型です)、彼女もあくまで人間であり、鼠や魚といった猫が好むものに接近すると、猫のような形相に変わる、という設定です。そこから派生して鬼太郎のガールフレンドとしての「猫娘」が誕生したのです(猫娘も、強敵やねずみ男に相対した時などに、「猫の形相」に変わることは周知の通りです)。けれども、本項で紹介した「絵本小夜時雨の猫娘」も、水木先生が描いた「猫娘の原型としてのキャラクター達」も、一風変わってはいますが「あくまで人間」である、という共通点が挙げられることは非常に興味深い点です。
 

 また、水木先生はたいていの場合、図像が存在しない妖怪たちにはオリジナルの図像を書き与えますが(コナキジジや砂かけ婆、油すましなど)、既に有名な図像が存在している妖怪に関しては、かなり忠実にその図像を再現してイラスト化しておられます(たとえば鬼太郎の敵役としての妖怪たちの多くは、鳥山石燕の妖怪画を忠実に再現した姿をしています)。よってもし「鬼太郎のガールフレンドとしての猫娘」が「絵本小夜時雨の猫娘」をモチーフにしているのだとすれば、おそらくもっと容姿に相同性が生じるはずです(冒頭の画像参照。『絵本小夜時雨』猫娘と鬼太郎の猫娘には特に相同性がない)。ちなみに水木先生は『日本妖怪大全』の中で、完全に『絵本小夜時雨』の図像を模写した上で、「絵本小夜時雨の猫娘(嘗女)」の解説を行っておられます。