百怪風景

妖怪・怪談の紹介と考察を行うブログです。

一反木綿

「イッタンモメン」
一反木綿という名の怪物。そういう形のものが現れてひらひらとして夜間人間を襲うと、大隅高山地方ではいう。
柳田国男『妖怪名彙』)

 

 

 イッタンモメンは水木しげる先生の「ゲゲゲの鬼太郎」にも登場する妖怪です。恐らく現在では河童や天狗にも負けない圧倒的知名度を誇る妖怪ではないでしょうか。水木しげるロードで有名な鳥取県境港市観光協会による「第一回妖怪人気投票」ではなんと一位に選ばれたそうです。また、現在でもイッタンモメンと思しき物体の目撃例は多く、比較的実在が信じられている妖怪でもあります(ただ、残念なことに水木先生の描くイッタンモメンみたいに、目や手のようなものはないようです)。まずは様々な資料に見えるイッタンモメンを見ていきましょう。

 

 

「イッタンモメン」
道の怪。一反木綿。肝属郡高山町。一反の木綿布の形のものがひらひらとして、夜間に人を襲うという。
(千葉幹夫編『全国妖怪事典』)

 

 

 『妖怪名彙』の記述に加えて、全長がその名の通り一反(全長約10m60㎝、幅約30㎝)であることが明記されています。また柳田国男先生と野村伝四先生の共著である『大隅肝属郡方言集』には、夜間ではなく「夕暮れ時に」現れる、という記述があります。民俗学研究会編の『民俗採訪』という雑誌には、鹿児島県の志布志町で、某家の門前にある椿の木にイッタンモメンが出た、と書かれています(ちなみにイッタンモメンとは違いますが、平安時代に成立した『今昔物語』にもイッタンモメンに似たようなものが出てきます。冷泉院の東に僧都殿という屋敷があり、夕暮れになると赤い単衣が飛来して、屋敷の大木にするすると登った、と言います。そして、ある武士がその単衣を弓で射抜きましたが、単衣は平然と飛び続け、その武士は翌朝、冷たい死体となって見つかったそうです)。


 「人を襲う」という共通項がありますが、これらの資料からは「どのように襲うのか」という点が詳らかではありません。イッタンモメンに類似する妖怪から、イッタンモメンがどのように人を襲うのかを推測してみましょう。

 

 

「布団かぶせ」
愛知県佐久島。フワッと来てスッと被せて窒息させる。
柳田国男編『海村生活の研究』)

 

 

「ノブスマ」
土佐の幡多郡でいう。前面に壁のように立ち塞がり、上下左右ともに果が無い。腰を下ろして煙草をのんでいると消えるという(民俗学三巻五号)。東京などでいう野衾は鼯鼠(むささび)か蝙蝠(こうもり)のようなもので、ふわりと来て人の目口を覆うようにいうが、これは一種の節約であった。佐渡ではこれを単にフスマといい、夜中後からとも無く前からとも無く、大きな風呂敷のようなものが来て頭を包んでしまう。いかなる名刀で切っても切れぬが、一度でも鉄漿(かね)を染めたことのある歯で噛切ればたやすく切れる。それ故に昔は男でも鉄漿をつけていたものだといい、現に近年まで島では男の歯黒が見られた(佐渡の昔話)。用心深い話である。
柳田国男『妖怪名彙』)

 

 

 ノブスマに関しては例のごとく非常に複雑な成立過程を持つ妖怪であるため、本項では触れません。注目したいのは、「布団かぶせ」と「フスマ」です。これらはどちらも布団と風呂敷という布に近い形状をした妖怪であり、「人に巻き付いて(おおいかぶさって)窒息させる」という攻撃手段を取っています。おそらくこれらの記述から、イッタンモメンの襲い方も人に巻き付いて窒息させる、という方法で間違いないでしょう(実際、多数の妖怪関連の書籍ではそのように説明されています)。


 さらに注目したいのが「フスマ」に関する説明の最後です。フスマを切り裂く方法は、鉄漿(お歯黒のこと)で染めた歯で噛み切ることであり、それゆえに近年(柳田先生のいう近年ですから、明治時代あたりまででしょうか)まで佐渡では男でもお歯黒をつける習慣があったといいます。また、前述したようにイッタンモメン(と解釈されている何か)は現在でも目撃例、撮影事例があります(余談ですが、2020年1月3日に放送された『たけしの超常現象2020』という番組で、「黒い一反木綿」なる映像が紹介されていました。しかし、どうやらその正体は畑にかかった黒いマルチシートだったようです。スタジオでは超常現象肯定側から落胆の声が漏れていましたが、そもそもイッタンモメンは黒くないので仕方ありません)。

 

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(『たけしの超常現象2020』より)


 これらの事実から、イッタンモメンやフスマといった妖怪は、どうも現地の人々に「それなりに真剣に」その実在が信じられていたようです。イッタンモメンの目撃例は鹿児島に集中しており、その理由と考えられる様々な文化的背景も考察されています。民俗学者小松和彦先生は、イッタンモメンの目撃されている地域では、土葬の際に木綿の旗を掲げて死者を弔う風習があり、その風習との関係性が指摘されている、と言います。さらに小松先生は土佐光信の「百鬼夜行絵巻」に描かれた「布につつまれたような謎の妖怪」の絵がイッタンモメン伝承のルーツなのではないか、という仮説も立てておられます。

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(土佐光信『百鬼夜行絵巻』)

 *ちなみに筆者は、この謎の妖怪を元興寺(がごぜ)の後ろ姿なのではないか、と思っています(この絵の妖怪と異なり、元興寺は三本指ではありません。しかし、松井文庫版の百鬼夜行絵巻では、元興寺の名前が「うわん」となっており、「うわん」は三本指の妖怪です。また、三本指というのは単に「鬼」であること(化け物であること)の証ともされます。さらにこの謎の妖怪が山の妖怪の特性である一本足という点も興味深いところです。『元興寺』に関してはまた項をあらためます)。

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(佐脇崇之『百怪図巻』)


 さらに、文化的な考察としては、「夕暮れ時に現れる」という記述も存在することから、コナキジジと同じく、子脅しの道具に使われていた可能性もあります。遅くまで遊んでいる子供たちを家に帰すために、「イッタンモメンが来るよ」と脅したのです。これは私たちの観点からすると、それほど恐ろしい脅しにもリアルな脅しにも聞こえないかもしれません。しかし、現地の子供たちの立場に立ってみればどうでしょうか。


 此岸と彼岸が溶け合う夕暮れ時。まるで焼け落ちたおちた果実のような赤黒い夕焼け空を背にはためく木綿の旗は、子供たちからすればひどく不気味なものであったでしょう。しかもその旗の下には土葬された死者が眠っているのです。子脅しの道具として妖怪を扱う以上、それは子供たちに確かなリアリティを感じさせるものでなくてはなりません。子供にとって、作られた意図のわからない謎のオブジェクトは、いつの時代も恐怖や不安、想像力を掻き立てるものです。イッタンモメンの伝承地で暮らしていた子供たちにとって、「木綿の化け物」というのは、とてもリアルで恐ろしいものだったのではないでしょうか。


 ただ筆者としては、もっとシンプルに、本当にイッタンモメンのような化け物が実在していた、いや今も実在している、と信じたいところです。妖怪とは基本的に複数のややこしい起源を持つものですが、中にはそんなシンプルな妖怪がいたっていいと思うのです。まるで「ただ空に浮かぶ一反の木綿」、というイッタンモメンの姿のように。