百怪風景

妖怪・怪談の紹介と考察を行うブログです。

倩兮女

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(鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』)

 

「倩兮女」

楚の国宋玉が東隣に美女あり。墻にのぼりて宋玉をうかがふ。嫣然として一たび笑へば、陽城の人を惑わせしとぞ。およそ美色の人情をとらかす事、古今にためし多し。けれけら女も朱唇をひるがへして、多くの人をまどわせし淫婦の霊ならんか。

 

 倩兮女(けらけら女)は鳥山石燕の『今昔百鬼拾遺』に描かれた妖怪です。石燕の解説文にある宋玉とは、楚にいたとされる著名な文人でした。彼の東隣には、絶世の美女が住んでおり、約三年間に渡って墻(かき。「塀」のこと。「垣」の意)に登って宋玉をうかがっては彼を誘惑し続けましたが、結局宋玉は最後まで心を動かされることはなかったと言います。石燕はこの倩兮女もまた、古今多くの人を惑わせた淫婦の霊ではないか、と言っているようです。

 

 さて、民俗学者高田衛先生は、『画図百鬼夜行』の解説文中で、石燕が生きていた頃にはけらけら笑いをする化け物は、有名な怪異であったと述べておられます。確かに、石燕の書きぶりも、「けらけら笑いをする女の霊も、宋玉の話にあるような淫婦の類の霊かもしれないな」という風に、昨今話題になっている女の霊の正体について考察しているようにも読めます。

 

 我々は決してありのままの感情を生きているわけではありません。我々の感情の多くはいつも文化的・社会的に規定されたものです。たとえば、「クラブの試合で負けたのであれば悔しがるべきである」「わが子は可愛いに決まっている」「大切な人が死ねば悲しいはずである」…このように我々は、「こういうシチュエーションに陥ればこういう感情を抱くはずだ」というテンプレートを持っているわけです。だからクラブの試合に負けたのであれば、仮にそれほど悔しいと思っていなくても唇を噛みしめるようなポーズが要求されますし、自分の子どもを愛せない母親も基本的にその事実を口外することはないでしょう(もしそんなことを口外すれば、彼女はその愛情の欠落について凄まじい非難にさらされはずです)。

 

 そして、もしそのような文化的なテンプレートから大きく逸脱した感情表現をする者がいれば(あまりにも読めない感情表現をする人がいれば)、我々は少なからず恐怖や不安といった感情を抱くでしょう。泣くべきでないところで泣く人や、怒るべきではないところで怒る人には、やはり恐怖や滑稽さを感じると思われます。

 

 しかし、このような食い違った感情表現の中で、特に我々が恐怖を感じるのは「笑い」ではないでしょうか。たとえば、大切な親族の葬式(一般的には悲しんで泣くべき場面です)で、怒り出す人がいたとしても、その人物は「社会性や常識の欠如した人」という認識をされることがあったとしても、恐怖の対象となることはあまりないでしょう(もしかすると、大切な人が自分を残して逝ってしまったことに対して腹を立てているんだな、と周囲から同情される可能性もあります)。しかし、葬儀の場でけらけらと笑いだす人がいたとすればどうでしょうか。その人物と生前の死者は親密な間柄であったはずです。それにも関わらず、彼がけらけらと笑い続けていたとしたら、参列者たちにとってそれはきっと途轍もなく異様で不気味な光景に映るはずです。

 

 「笑い」という感情表現がアンバランスな状況でなされた際、人は他の感情表現とは別格の恐怖や不安を感じます。いじめによるクラスメイトの嘲笑も、(当然のことながら)いじめられている側からは何がおもしろいのかわからないからこそ、一層の不安や不快を煽るわけです。「殺人鬼が人を殺しながら笑う」という演出がサイコホラー映画の常套となっているように、人はアンバランスな状況で笑うモノに恐怖を覚えるのです。だからこそ、現代のホラー映画でも悪霊は「にちゃり」と笑いますし、江戸の頃から「笑う化物」の話は絶えなかったのでしょう。

 

 「倩兮女」の「倩」は「つら」と読みます。「つらつらと考える」などの「つら」です。意味は「念を入れて行うさま」「ひたすらに行うさま」です。「兮」は助字であり、本来は発音せず、語調を整えたり強調の語気を表します。つまり「倩兮女とは、ただひたすらに女である(淫婦である)」という意を石燕は表現したかったのかもしれません。もしくは、もっと単純に「倩兮女はただひたすらに笑う、笑い続けるものである」という意を表したかった可能性もあります。

 

 ひたすらに笑い続ける…?

 

 ここで、倩兮女に似た妖怪を紹介しましょう。その妖怪は「笑い女」と言われています。

 

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(『土佐化物絵本』より「笑い女」)

 

  笑い女は江戸時代末期から明治初頭に作られた妖怪絵巻『土佐化物絵巻』に描かれた妖怪です。その記述によれば、樋口関太夫という人物が、地元の人の警告を無視して領地の山へ狩りにいった際、そこに若い女がおり、彼を指さし大声で笑いはじめたそうです。笑い声はやがて山全体に響きはじめ、その声は関太夫が死ぬまで耳の中に響き続けたと言います。また、桂井和雄氏の『土佐の山村の「妖物と怪異」』には、姿の見えない山奥に響く笑い声だけの怪異として記載されています。

 

 この笑い女が倩兮女と同じ存在なのかはわかりませんが、「永遠にその笑い声が耳に残り続ける」という笑い女の伝承は、「ひたすらに笑い続ける」という倩兮女の字義によく一致しているように思えます。倩兮女に憑かれたものは、文字通りひたすらに(死ぬまで)その笑い声を聞き続けなければならないのかもしれません。

 

 また、2ちゃんねるのオカルト版には、この笑い女に非常に似た怪異が語られています。それは二〇〇八年十二月二十七日に書きこまれたこんな話です。

 

 

「笑い女」

その名の通り常に笑い声を上げている女の姿をした怪異。傷んだ髪を腰まで伸ばした若い女で、「いひゃっいひゃっいひゃっ」という笑い声を上げている以外は普通の人間と変わらず、スーパーなどで買い物をしている姿も目撃されている。ただしこの女に危害を加えた人間が、それ以降どこにいてもその笑い声が聞こえてくるという謎の現象に悩まされることになったといい、その笑い声は音楽や人の話し声が聞こえている状態では聞こえないものの、辺りが静かになると背後から次第に近づいてくるように、日を追うごとに大きくなっていったとされる。そして、最終的にその笑い声を聞き続けていた人間は、笑い声から逃れるためなのか両耳をボールペンで突いて自殺したという。実は笑い女と呼ばれるこの怪異の声は笑い声などではない。この女の顔はよく見ると口は笑っているものの目は一切笑っておらず、そして口の中には歯が一本もない。その口で、彼女は「いひゃっいひゃっいひゃっ」と声を上げている。それは歯がないためにそう聞こえているだけで、実際には「居た、居た、居た」と言い続けているのだという。

(朝里樹『日本現代怪異事典』)

 

 石燕の倩兮女は左手で口元を隠しており、歯がないのかどうかは確認できません。

 

 

市松人形

 そろそろ九月も中盤に差し掛かり、少しずつ過ごしやすい気候になってきました。よって、実話怪談シリーズもここで一区切りとさせていただきます(しばらくは妖怪の紹介と考察に戻る予定です)。今回はとりあえず最後、ということで筆者の体験談を掲載したいと思います。

 

 ただし。

 

 体験談といっても、そもそも現実に体験したことなのかわかりません。おそらく六歳頃のことなので、記憶は時の褶曲によって、非常に曖昧になっていますし、大幅に改変されている可能性もあります。それどころかもしかすると単にその頃に見た夢だったのかもしれない、ということを先にお断りしておきます。

 

 筆者は日本の市松人形があまり好きではありません。実を言うと怖いのです。もちろん、市松人形を見ることも触ることできます。そこまで強烈な恐怖や拒否感を覚えているわけではありません。最近では可愛らしい市松人形も増えてきていますし、そういう人形であれば少し欲しいとさえ思います。それでもあのおかっぱ頭に着物を着た一般的な市松人形だけはどうしても慣れないのです。

 

 実際のところ「市松人形が怖い」という人は多くいらっしゃるようです。あの白目がない真っ黒な目に無機質な微笑、人をかたどっているにも関わらず決定的な無生物性を感じさせる立ち姿…市松人形には多くの人の恐怖を喚起する属性が備わっています。それはほとんど生理的な恐怖に近いと言えるでしょう。

 

 しかし、筆者が市松人形を厭うのは、そうした先天的で生理的な理由のためではありません。ただ単純に、幼少期のある体験が理由なのです。

 

 当時、筆者はまだ六歳で、補助輪が外れたばかりの自転車に乗って様々なところへでかけていました。まぁ方向音痴なのでそれほど遠いところへは行けませんでしたが、とりあえず迷いようがないようにひたすらわかりやすい道だけを選んで、何十分も自転車を漕いだものです。

 

 そしてある日、いつものように自転車を漕いでいるとガラス張りのファミリーレストランの前を通り過ぎました(定かではありませんが、たしかどこかのロイヤルホストだったような気がします)。

 

 そして、その時、ふと視線の端で捉えた店内の様子に、強烈な違和感を覚えたのです。違和感の正体を確かめたくなった筆者は、もう一度レストランの前に戻りました。違和感の正体はすぐにわかりました。窓際のテーブル席に座って向き合っている二人組の客が異様に小さいのです。

 

 よく見るとそれは二体の市松人形でした。自転車に乗って店内を見つめる筆者のすぐ向こうには、ガラス一枚を挟んで市松人形が向かい合っていました。

 

 はじめは誰かの忘れ物なのか、と思いました。けれども、当時の筆者は、少なくとも六年間の人生経験の中で、市松人形をレストランに持ってくる人なんて見たことも聞いたこともありませんでした(もちろん大人になった今でも見たことはありません)。

 

 不思議に感じながらも、「でもまぁそんなこともあるのかな」と思って立ち去ろうとしたその時でした。

 

 凄まじい速度でその二体の市松人形の首がキッ、と回り、こちらを見たのです。

 

 そして次の瞬間、二体の人形は「カンッ」という音を立てて、ガラスにへばりつきました。

 

 筆者は大声をあげて泣き叫び、全速力で自転車を漕いで家に帰りました。

 

 まぁ普通に考えればありそうにない話です。単にトラウマになるほど怖かった夢の記憶が、いつの間にか現実の体験として再記憶されていただけなのだとは思います。それとも、よく見えなかっただけで、椅子の下には誰かが隠れていて、人形を使って外を通る人を脅かしていただけなのかもしれません。合理的な解釈自体はいくらでも可能です。

 

 しかし。

 

 それ以来やはり市松人形だけは怖いのです。

 

 

 

彼岸の恋人

 8月もいよいよ最終盤に差し掛かって参りましたが、未だに猛暑は衰えを知りません。暑さの続く限りは怪談記事を投稿していきます。これは筆者の知人である山本さん(仮)という男性から聞いた話です。

 

 

 山本さんは、大して売れていないバンドのギタリストだった。ライブをすればギリギリで黒字が出ることもある程度(もちろん赤字の時もあった)で、バンド一本で生活していくことなど到底できる状況ではなかった。

 

 しかし、それなりにコアなファンもついてきたし、何より人前で演奏することの快感はやはり何ものにもかえようのないものであった。いつまでも定職につかず、ふらふらしている(少なくとも親族にはそう映っていた)山本さんを、家族は嫌がっていたけれども、やはりバンドをやめることは考えられなかった。山本さんはアルバイトをしながらバンドを続け、とりあえず餓死するまではこの生活を続けようと本気で考えていた。

 

 夢に殉死することが格好いいと思っていたわけではない(そんな風に考えられる年齢は遠に過ぎていた)。ただ、やりたいことをやめてまで生きていく人生に大した魅力を感じることができなかったのだ。

 

 けれども、学生時代から付き合っていた恋人は、そんな彼にいつまでもついていくことはできなかった。彼女は公務員であり、彼女の幸福観は世間一般の人が考える幸福観とほとんど一致していたし、そんな一般的な幸福観を持てない人を「何かが欠落した哀れな人」と考えてしまう傲慢さが彼女にはあった。もちろん彼女だって学生時代は「バンドマンはこの世で最もクールな人種」だと信じていたし、ステージの上で激しくギターをプレイする山本さんを心底格好よくてセクシーだと思っていたけれども、今は同じように演奏する彼を見ても、社会性の欠落した奇人が暴れているようにしか見えなかった。

 

 恋人は山本さんに別れを告げた。

 

 恋人に振られて間もない頃、山本さんがバイト先から家に帰る途中、道端にうずくまる若い女性がいた。山本さんは面倒なものを見つけてしまったな、と思った。辺りを見渡しても自分以外に人はいない。声をかけるしかなさそうだった。

 

「大丈夫ですか?」

 

 山本さんが声をかけると、女性は「すみません、ちょっと酔っぱらっちゃって気分が悪くて…」と答えた。女性はとても美しい顔立ちをしていた。現金なものでさっきまでの面倒だった気持ちは掻き消えていた。「救急車を呼びましょうか?」と山本さんが言うと、女性はそこまではひどくありません、と言って首を横に振った。

 

「ならご自宅はどこです?タクシーでも呼びましょうか?」

 

 山本さんが言うと、女性はさらに大きく首を振った。

 

「家には帰りたくないんです。私、家族から邪魔者扱いされてるみたいですから…あそこにいると息が詰まるんです」

 

 女性の言葉には自分を顧みざるをえないところがあった。山本さんにとっても、やはり家族の存在は彼にプレッシャーを感じさせるものだったからだ。

 

「まあ俺も似たようなものなんでわかりますよ。でも道端に体調を崩した女性をほっとくわけにもいかんでしょう」

 

 そこで山本さんの内に微かな下心が芽生えた。山本さんはできるだけ冗談に聞こえるようにこう言った。

 

「俺のアパートが近くにあるんですが、うちでよければ泊っていきます?」

 

 山本さんが恋人に振られた理由は、その女癖の悪さにもあった。彼は何度もファンの女の子に手を出し、それを特に恋人に隠すこともしなかった。バンドマンとはそういうものだと思っていたのだ。山本さんの提案に女性は目を輝かせ、「いいんですか?」と言った。もちろん、と答える。思わぬ拾いものができた、と山本さんは心の中でほくそ笑んだ。

 

「でも…すみません…上手く歩けないので、肩を貸していただけませんか?」

 

 山本さんは女性に肩を貸すと、彼女を立ち上がらせ、アパートまで連れ帰った。彼女の柔らかな胸の感触がわき腹に伝わり、この身体をもうすぐ好きにできるのだという喜びが顔にまで込み上げてくることをなんとか抑えつけながら部屋にたどり着き、彼女をベッドに座らせた。

 

 「大丈夫?とりあえず酔い覚ましに水でも入れて来るよ」そう言って、立ち上がる山本さんの手を彼女は掴んだ。

 

 彼女は上気した熱っぽい顔を山本さんに向けながら潤んだ瞳で彼を見つめていた。そこで彼の我慢は限界に達した。山本さんは彼女を抱き寄せ、その熱く柔らかそうな唇に思い切り口づけた。

 

 しかし、唇に伝わってきたのは欠けた陶器に口を当てた時ののようなざらりとした嫌な感触だった。山本さんは驚いて彼女の顔を引き離した。彼が抱いていたのは、ボロボロにひび割れ、薄汚れたマネキンだった。

 

 

 

 

ラブホテル

 連日非常に暑い日が続いております。ということで、今回は夏の怪談企画第二弾です。このお話は、3年ほど前にタクシーに乗った時、その運転手さんにお聞きしたお話です。名前は伺っておりませんので、仮に山田さん、としておきます。

 

 

 

 山田さんはタクシーの運転手になる以前、ラブホテルの管理人をしていた。ラブホテルと言っても、一般的なカップルが利用するものではなく、所謂「ホテルヘルス」という風俗店に貸し出すことを専門とするラブホテルであった。ホテルの近辺にある風俗店に来た客が、女の子と一緒に入り、規定の時間そこでサービスを楽しむ、という仕組みだ。

 

 しかし、規定の時間になっても出てこない客も時々いる。理由は様々だが、そういう時はまず店から女の子の携帯に電話がいく。それでも出て来ない時は、店のボーイと一緒に山田さんが部屋をノックしに行かなくてはならない。当然好んでやりたい仕事ではない。

 

 その日もまた、客が規定の時間になっても部屋から出て来ることはなかった。30分ほど経った頃、強面のボーイが現れ、山田さんに部屋の鍵を開けるように言った。どうやら何度電話をかけても女の子が出ないらしい。

 

 もちろん、鍵を開けて、もし客と女の子がプレイの真っ最中だったとしても、それに対応するのはボーイの仕事であって山田さんの仕事ではない。しかし、その日は何故かとても嫌な予感がしたのだという。30分も連絡がつかないというのは、いくらなんでも何かがあったに違いない。

 

 ただ、やはり仕事は仕事なのだ。山田さんはボーイと一緒に部屋の前に行き、何度か部屋をノックした。

 

 反応はない。

 

 ボーイは山田さんに鍵を開けるように促した。気は進まなかった。どのような想像をしても明るい未来には行き着かない。山田さんはしぶしぶ鍵を開けてドアを押し込んだ。

 

 ドアは開かなかった。鍵は確かに開けてある。それにも関わらず、ドアはほとんど動かなかった。しかし、それは、ドアの故障というよりは、何かしら重いものがドアに圧し掛かっていていて、そのせいで開かないような感触であった。山田さんはボーイと二人で思いっきりドアを押し込んだ。すると、ズルズル何かを引きずるような音を立てながら、ゆっくりとドアは開いた。

 

 ドアの内側には、客らしき男がドアノブにネクタイをかけ、それで首を括って死んでいた。山田さんらは思わず声を漏らした。部屋の中に入ると、女の子がベッドの上で全裸で死んでいた。首には、手の跡があって、死因は扼殺のようだった。どうも女の子はその時のショックで小便を漏らしたようで、ベッドには嫌な臭いがしみ込んでいた。

 

 結局その客と女の子の関係はわからなかった。店の人間の話によると、特に常連客というわけではなかった、という。ただ、その女の子と客が個人的な知り合いだった可能性はある。合意の上の心中だったのかもしれない。それとも、自殺願望はあるが一人で死ぬのが嫌だった客の男が、誰かと一緒に死にたかったのかもしれない。当然、真相は山田さんの知るところではないし、不思議なことなど何も起こっていない。

 

 ただ。

 

 山田さんとボーイは、ドアの内側にもたれかかっていた男の首に、確かに見たのだという。明らかにネクタイの跡とは異なる、人とは思えないような長い指をした大きな手の跡を。当然、素人である山田さんには断言できないが、それは明らかに手で扼殺された後に、首にネクタイを巻きなおされたような様子であったという。

 

 果たして客の男は本当に自殺だったのだろうか。そして女の子を殺したのは本当に客の男だったのだろうか。

 

 ラブホテルというのは、人の情念が渦巻く場所である。そこには何かしらの怪異があったのではないか。

 

 いや、怪異であればまだいい。

 

 もしかすると、山田さんらが部屋に入ったあの時、客の男と女の子を殺した「人間」が、部屋のどこかに隠れていたのかもしれない。

 

 山田さんはラブホテルの管理人を辞め、タクシーの運転手になったという。

 

 

 

ウォーリーを探さないで

 さて、夏も本番になりました。当ブログでは、普段は主に古典的な妖怪の考察と紹介を行っているのですが、今回は夏ということで、筆者が直接収集した怪談をご紹介していきたいと思います。

 

 みなさんは「ウォーリーを探さないで」という恐怖フラッシュを御存知でしょうか?特定のサイトでクリックをすると、下のような画像が急にあらわれ、見た人を驚かせる、という趣向のものであり、2000年代に存在した「検索してはいけない」系列の恐怖フラッシュのひとつです。

 

 

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(『バトル・オブ・エクソシスト―悪夢の25年間』より)

 

 
 「ウォーリーを探さないで」は、上記の画像が(場合によっては「うわぁぁぁぁぁ」という不気味な音声と共に)いきなり表示されるのみであり、「見た人がびっくりするだけ」の他愛もないおふざけフラッシュです(筆者も昔、友人にいきなりパソコンの画面をクリックするように促されて、この画像を見せられたことがありますが、特に何のリアクションも取らなかったので、友人が機嫌を損ねてしまった思い出があります)。

 

 また、この画像は、映画『エクソシスト』の関係者の証言を集めたドキュメンタリーブック、『バトル・オブ・エクソシスト―悪夢の25年間』の表紙であることも判明しており、本物の心霊映像などではない「完全な創作物」であることは間違いありません。

 

 しかし。

 

 「完全な創作」だということと、「我々の日常に影響を与えないこと」は決してイコールではないのです。世の中には、創作に過ぎなかったはずのものが現実世界に影響を与え始める、という例が数多く存在しています。たとえば「噂のマキオ」という怪談は女子高生が創作した「マキオ」という少年にまつわる怪談が、現実に起こり、その女子高生はマキオに襲われ行方不明になる、というものです。そして何よりこの怪談自体が1990年に『世にも奇妙な物語』で語られたフィクションに過ぎません。にも関らず、実際に「マキオを見た」という話はまことしやかに語られ続けています。

 

 今からお話しするのは、筆者が学生時代にある人物(K君とします)から聞いた、この「ウォーリーを探さないで」にまつわるそんな話です。

 

 

 

 K君が小学6年生の頃の話である。パソコンの授業が早く終わり、余った時間で、自由にネットサーフィンをすることを許された生徒たちは、思い思いのサイトを開いて笑いあっていた。そんな中、ある一人の生徒がみんなを驚かせようとして、仲間たちを自分のパソコンの前に集めて「ウォーリーを探さないで」のフラッシュを表示したのだった。一瞬子ども達の悲鳴があがり、驚声はすぐに「びっくりしたー」という談笑に変わるはずだった。しかし、伊藤君という少年だけが、そのフラッシュを見た瞬間に常軌を逸した悲鳴を上げ、そのままガクガクと震えながら腰を抜かして泣き出してしまったのだった。

 

 伊藤君は所謂不良少年だった。しょっちゅう女の子を泣かせたり、他の男子と喧嘩をしたり、万引きをしたりしていた。小学生の、特に男子にとってみれば「人前で泣く」などということは沽券に関わる問題である。ましてや、喧嘩上等を標榜しているようなクラスで一番の不良少年が、「人前で泣く」ということは権威の失墜以外の何物でもない。K君もそれまで伊藤君が泣いているところなどは見たことがなかったし、伊藤君に限らず「そんな泣き方」をしている人間自体を見たことがなかった。

 

 伊藤君は本当に腰を抜かしてしまい、立ち上がることができないようだった。そしてパソコンを指さして、絶叫するような甲高い声で「消せ!消せ!」と叫んでいた。大泣きする幼稚園児でさえ、もう少し理性的な泣き方であるような気がした。

 

 たしかに「ウォーリーを探さないで」は不気味なフラッシュである。けれども、どう考えたってあれは作り物だし、一瞬驚いたとしてもそこまで引きずるようなものではない(現に一緒にフラッシュを見せられた他のクラスメイトも少したじろいでいただけのように見えた)。それにK君の知る限り、伊藤君は特別怖い話が苦手なタイプではなかった(むしろそういう話を馬鹿にしていた節さえある)ので、K君は伊藤君がどうしてあれほど怯えているのかが気になった仕方なかった。けれども、なんとなくそれは触れてはいけない話題のような気がして、クラスの誰も伊藤君にその話をすることはなくその日は終わった(下手にいじって伊藤君の機嫌を損ねることを恐れていたのかもしれない)。

 

 しかし次の日の放課後。どうしても気になったK君は思い切って昨日のことについて聞いてみることにした。

 

「なぁ伊藤君。なんで昨日のパソコンの授業であんなに怖がってたん?あんなん作りもんやで」

 

 伊藤君はK君をちらりと睨みつけると「そんなん知ってるわ」と言った。

 

「じゃあなんであんな怖がってたん?」と重ねて聞くと、伊藤君は「どうせ言うても信じひんやろ」と言った。そして、「それに思い出したない」と付け加えた。

 

 そこまで聞いてK君は好奇心を抑えることができなくなった。

 

「絶対信じるし誰にも言わんから教えて」

 

 K君がそう言うと、伊藤君はため息をつき、話始めた。

 

 

 

 あれはな、俺が小2の時の話やったと思う。俺の家のすぐ近くにじいちゃんの家があるんやけどな。夏休みはよくじいちゃん家に泊ってた。じいちゃんとばあちゃんは一階で寝るんやけど、俺は二階にある部屋で自由に寝てよかったんや。自分の家やと兄ちゃんと部屋一緒やったからそれが嫌でな。だから、夏休みとかはしょっちゅうじいちゃん家で二階を広々と使って寝てた。

 

 でな、その日もじいちゃん家の二階で寝とったんや。ほんならな、夜中の二時頃に目覚めてん。なんか一階の廊下をぺたぺた歩く音が聞こえてきたんや。じいちゃんかばあちゃんが起きてトイレでも行こうとしてるんかな、と思ったよ。でもなしばらくするとその音が「ぺたぺた」から「ミシッ」に変わった。階段を登ろうとしてる音や。これは変やなって思った。だってトイレは一階にしかないし、何よりその音はたった一回で消えてもうたんや。階段を一段だけ上がる音が聞こえて、その後は階段を登る音はもちろん、廊下を歩いて帰っていくような音も聞こえへんようになった。

 

 つまり、「それ」はずっと階段の一段目に立って止まっとる、いうことや。よう考えたらめちゃめちゃ気持ち悪いよな。でもな、その時はなんとも思わんかった。気付いたら寝てもうてた。

 

 でな、次の日、じいちゃんとばあちゃんに確認したんや。夜中の二時ごろに目覚ましてうろうろしてへんかったか、って。でも二人とも昨日は一回も夜中に目覚ましてない、って言うねん。二人ともまだボケるような歳でもないし、それでまぁ俺も夢やったんかな、って思った。

 

 でもその日の晩も同じやった。また夜中の二時ごろに目が覚めて、ぺたぺた廊下を歩く音が一階から聞こえる。でもな、今度は前の日とは一つだけ違うかった。階段を登る音がな

 

「ミシッ、ミシッ」

 

 今度は二回聞こえたんや。それでな、俺はピンと来た。

 

 次の日の朝、俺、階段の数を数えてみたんや。ほんならな、階段の数が十三段やった。やっぱりな、と思った。有名な十三階段や。なんか十三階段は不吉で、毎晩一段ずつ幽霊があがって来て、十三日目に殺される、とかいう話あるやろ?テレビで見たことあった。俺はそんなん全然ビビらんから、むしろ幽霊の方を焦らしたろう、と思った。せっかく毎日一段ずつ頑張って登ってきよるんやから、十二日目まで泳がして、十三日目に家帰ったろ、と思ったんや。せっかく二週間近く頑張ったのに最後で台無しにしたろって。そんだらまぁわくわくしてきた。

 

 で、その日の晩。やっぱり、夜中の二時に目が覚めた。一階の廊下からはぺたぺたいう音が聞こえてきた。ああ、今日も来たなって思ったよ。今日は三段登ってくるはずや。そんなら

 

「ミシッ、ミシッ、ミシッ…」

 

 やっぱり三段登る音が聞こえた。アホやなぁ、って思って笑けてきた。でも、そう思った瞬間に

 

「ミシミシミシミシミシミシミシミシミシミシ!!!!!!」

 

 すごい勢いでなんかが駆け上がってくる音が聞こえた。めちゃめちゃびっくりした。でも気付いたら身体が全く動かんようになってんねん。でな、襖の前に誰かが立っててこっちを見てるのがわるんや。俺はそっちを見たくないんやけど、顔がな、勝手にそっちに向いていくねん。誰かに無理矢理頭を掴まれてるみたいに。で、そっちを見たらな

 

 襖の隙間から人影が覗いとってん。

 

 その人影がな、あいつと全く同じ顔をしとったんや。昨日のパソコンの時間にフラッシュで出てきたあの作り物のはずのあいつと。

 

 

 

 

塗佛

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鳥山石燕画図百鬼夜行』より「塗仏」)

「塗仏」

鳥山石燕の『画図百鬼夜行』に、目玉を飛び出させた人間が仏壇から出てきたような形で描かれている。石燕は何も解説をしていないため、どのような妖怪かは不明である。

(村上健司編『日本妖怪大事典』)

 

 石燕の記した妖怪たちの中には、古くからその姿が伝わってはいるものの、具体的な伝承が完全に消滅してしまっている妖怪がいます。うわん、おうに、赤舌、わいら…そして塗仏(ぬりぼとけ)もまたそのような妖怪の一つです。

 

 塗仏は筆者が最も興味があり、子どもの頃から折に触れて調べ続けている妖怪でもあります。この妖怪は調べれば調べるほど「よくわからないモノ」なのです。冒頭の引用文で村上健司先生がおっしゃるように、塗仏がどのような妖怪であるかは現時点では全く不明です。作家の京極夏彦先生は、大陸文化の影響という観点から、妖怪研究家の多田克己先生は字解きの観点から、それぞれ塗仏の説明を試みておられましたが、やはりお二方とも、自説が決定打に欠けることを認めておられます。しかし、塗仏は不落不落や文車妖妃のように、石燕のオリジナル妖怪というわけではありません。石燕よりさらにさかのぼった佐脇崇之の『百怪図巻』(1737年)や、もっと古い『化物づくし』(鳥羽僧正(1053年~1140年)真筆と言われていますが真偽のほどは定かではありません)などにも塗仏の姿が描かれているからです。特に、『化物づくし』が本当に鳥羽僧正の作品なのであれば、塗仏は少なくとも平安の昔から伝わっていた妖怪ということになります。また、歌川国芳の弟子であり、江戸末期から明治期にかけての天才浮世絵師、河鍋暁斎も塗仏を描いており、塗仏はかつての日本ではそれなりにメジャーな妖怪であった、という可能性があります。

 

 

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河鍋暁斎『塗仏』)

 


 さて、塗仏が謎の妖怪である所以はいくつかあるのですが、まず第一に描かれた作品によって、塗仏の見た目が大きく異なることです。たとえば、百怪図巻』の塗仏は、背中に魚の尾びれのようなものがついています。これは石燕の絵からは確認できない特徴です(冒頭の画像参照。石燕の絵では塗仏の下半身は仏壇で隠れており確認できない)。ただ、石燕の塗仏も、『百怪図巻』の塗仏も、暁斎の塗仏も、「目が飛び出ている」という共通点はあるようです。しかし、民俗学者湯本豪一先生が所蔵している『化物づくし』(作者不詳)では、塗仏は大日如来の印を結んだ黒い仏のような姿で描かれており、特に「目が飛び出ている」わけではないのです。こうなってくると、「塗仏として描かれている妖怪の図像」の共通点らしきものは「名前」と「黒い姿」ぐらいしかないということになってしまいます。

 

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(佐脇崇之『百怪図巻』より「塗仏」)

 

 

 昭和期に発刊された数々の妖怪関連の書籍においては、「塗仏は仏壇の掃除を怠る怠け者を驚かす妖怪」という説明が加えられることが多いのですが、これは石燕の絵からの連想であり、実際にそうした伝承が残っているわけではないようです。

 

 また、民俗学者の藤沢衛彦先生は、『妖怪画談全集 日本編』において、石燕の描いた塗仏の絵を引用し、「塗仏は付喪神(器物の精が妖怪化したもの)の一種である」という説明をされていますが、実はこの説もかなり怪しいものです。もしも塗仏が付喪神であるのなら、当然名前の通り仏像が妖怪化した存在ということになるのでしょうが、石燕の描いた塗仏の背後にはきちんと本物の仏像の一部が別に描かれているのです(冒頭画像参照)。「塗仏は仏像ではなく、位牌が妖怪化したものだ」という解釈もありえなくはないでしょう。しかし、もちろん例外はありますが、付喪神とは基本的に元の器物の特徴が妖怪の姿にそのまま反映されているものです(たとえば有名な唐傘お化けを想像して頂ければ明らかなように、唐傘お化けは誰がどう見ても傘そのものですし、このブログでご紹介した不落不落は提灯そのものです)。それに対して塗仏はどう見ても位牌には見えないので、塗仏を付喪神と解釈するのは少し苦しいように思います。

 

 それでは、妖怪研究家の多田克己先生に倣い、字解きを試みてみましょう。塗仏に使われている漢字は「塗」と「仏」です。漢字学者の白川静先生の『字通』によると、「塗」という漢字の説明に、以下のような類例が書かれています。

 

「塗り籠めることは呪禁の方法として用いられ、殯(もがり)の時に棺に死体を収めて塗り籠めることを塗殯(とひん)という。」

 

 古来より日本人は、死そのものよりも死に際して付随する「目に見えないモノ」を恐れていました。たとえば縄文時代の屈葬は我々の先祖が死者にそうした「モノ」が取り憑き、死体が活動することを恐れていた一つの証左です。塗殯とは、死者を封印し、そうした「モノ」が死体に取り憑いて活動しないようにすることが目的であったのです。

 

 次に「仏」という言葉を見ていきましょう。「仏」という言葉には、仏陀や仏像、如来や菩薩などを表すと同時に、単純に「死者」を表す場合もあります(現代でも刑事ドラマなどで、死体のことを「ホトケさん」と呼びます)。つまり、「塗」という漢字も「仏」という漢字も、どちらも死者を暗示していることになるのです。

 

 また、前述したとおり、あらゆる塗仏の図像は真っ黒な身体をした存在として描かれています。黒とは昔から「黒不浄」といい、死の穢れを表す色でもありました。さらに「死」という言葉を直接使うことは縁起が悪かったので、かつての日本人は「死ぬこと」を表す際に「目出度くなる」(往生した)という隠語を使っていました。また「目出度い=目出鯛」という洒落から、塗仏には尾びれのようなものがついているのかもしれません。目が飛び出ている真っ黒な塗仏は、字解きの観点から考えた場合、まさに「目出度くなった」(死んだ)「黒不浄」(死そのもの)であり、「死者」(あるいは死そのもの)を暗示しているというのは、ほとんど間違いないでしょう。

 

 作家の京極夏彦先生は、小説『塗仏の宴』の中で、「塗仏は大陸由来の妖怪で、三星堆(さんせいたい)遺跡の縦目仮面と関係があるのではないか」という説を提唱しておられます。三星堆遺跡とは、紀元前三千年頃に栄えたとされる、長江文明に属する古蜀文明の遺跡です。確かに我が国に古くから伝わる妖怪の起源には、大陸文化の影響と不可分であるものが多く存在します。最も有名な妖怪である河童もまた、そのルーツに渡来人系技術者の存在があることは疑うべくもありません。それ故、塗仏の起源が、三星堆遺跡の縦目仮面であるという説はありえないことではありません。また、塗仏が三星堆遺跡、すなわち長江文明をルーツとしているのなら、長江文明=川の民」であることを暗示する名残として、塗仏の図像に魚の尾びれが描かれていた理由も納得ができます。しかし、この説では塗仏最大の特徴である「真っ黒な身体」について説明することができません。さらに、紀元前三千年頃に存在した縦目仮面が本邦に伝わり、さらにそれにまつわる妖怪伝承が徳川の時代まで生きていたというのはやはり可能性として高いとは言えないでしょう。京極先生自身もおっしゃっているように、やはり決定打に欠ける説ではあるのです。

 

 さて、塗仏に関する伝承は存在しない、と書きましたが、実は塗仏に「関係しているかもしれない」伝承は存在しています。それは『諸国百物語 巻の二』の「豊後の国、某の女房、死骸を漆で塗ったこと」です。下に概略を記します。

 

 

 かつて豊後の国にいたある男は17歳の若い妻をもらい、二人は深く愛し合っていた。男はよく妻に「もしそなたが死んだら、私は二度と妻を娶らない」と言っていたが、実際に妻は亡くなってしまった。妻はいまわの際に「私が死んでも土葬火葬は不要です。私の腹を裂き、内臓を取り出して代わりに米を詰め、上を漆で十四遍塗り固め、表に持仏堂(ここでは仏壇を安置する建物のこと)をこしらえ、私をその中にいれて鉦鼓を持たせてください」と言い残していたので、男は妻の遺言に従った。しかし、男は生前の妻との約束を破り、新たな妻を娶った。しかし、その新妻はしばらくすると「暇をください」といって家を出て行ってしまった。その後何人の妻を取っても、必ずしばらくすると「暇をください」と言って彼女たちは出て行ってしまうのだった。

 そして、ある日のこと。男が外出をしている間、男のまた新しい妻は女御達と談笑をしていた。すると外から、鉦鼓の音が聞こえてくる。女たちは驚き、戸に鍵をかけると、外から「ここを開けろ」という声が聞こえてくる。怯え切った女たちは戸を開けられずにいると「ここを開けないなら仕方ない。しかし、今日あったことは絶対に夫に言うな。もし言えば命はない」という声が聞こえ、鉦鼓の音は遠のいていった。あまりのことに怯えながら戸の隙間から外を見ると、鉦鼓を鳴らしながら真っ黒な女が立ち去っていくところだった。

 その翌日。妻は夫に理由を話さずただ「暇をください」と言った。しかし、男があまりにも理由を聞くので、昨日の出来事を話してしまった。そして数日後。また夫が外出している夜に、例の鉦鼓が聞こえ、真っ黒な女が妻の元へ現れた。その女は「あれほど言ったのに、もう夫に話してしまったのですね」と言うと、妻の首をねじ切り、殺してしまった。

 帰ってきた男は妻の死を聞き、嘆き悲しんだが、女御達から仔細を聞いて、元妻の遺体が安置してある持仏堂へ向かった。そして、持仏堂の戸を開けると、仏壇に安置された漆黒の女の骸の前には、新妻の首が置いてあった。怒りに駆られた男が、仏壇から真っ黒な女の死骸を引きずり出すと、突如としてその目が飛び出さんばかりに開かれ、男は首を食い切られて絶命した。

 

 『諸国百物語』は1667年に刊行された作者不詳の怪談集です。石燕の『画図百鬼夜行』より百年も前に書かれた怪談集であり、石燕がこの怪談の影響を受けて塗仏の絵を描いた可能性はかなり高いと考えられます。その証拠に、石燕の描く塗仏の前には鉦鼓が落ちています(冒頭の画像参照)。そして、石燕の絵の塗仏は、まるで「私がいるのに」とでもいわんばかりに自分自身を両手で指さしているのです。このポーズは見ようによっては、次々と新たな妻を娶る夫に対して、自分の存在をアピールしているようにも見えます。この怪談には、「黒い死体」「鉦鼓」「仏壇」「漆を塗りこめる」「開かれる目」など、塗仏を連想させるキーワードが散見されます。少なくとも石燕の塗仏は、この伝承をベースにしている可能性が高いのではないでしょうか。

 

 実際、仏壇にまつわる怪談と言うのは、現在でもよく語られます。「新耳袋」などに代表される、所謂「実話系怪談集」では、「仏壇から老人が出てきた」とか、「仏壇を開けると真っ黒い闇が渦巻いていた」などいった仏壇にまつわる怪談は、頻繁に収録されています。

 

 死者であり、死そのものである塗仏は、仏壇の怪異なのでしょうか。そうだとすると、塗仏はこの現代社会でもまた、形を変えて多くの人に恐怖を与え続けているのかもしれません。

 

 ただ。

 

 もしそうだとするとまた今度は魚の尾びれのようなものに関する説明がつかなくなってしまうのですが。

 

砂かけ婆

「スナカケババ」

奈良県では処々でいう。御社の淋しい森の蔭などを通ると砂をばらばらと振掛けて人を嚇す。姿を見た人は無いというのに婆といっている。

柳田国男『妖怪名彙』)

 

 スナカケババといえば、鬼太郎ファミリーの一角にして、日本でも抜群の知名度を誇る妖怪ですが、水木先生が取り上げるまでは、奈良県に細々と伝わっていた非常に地味な妖怪でした。しかし、現在でも、奈良県民の中には、スナカケババが奈良発祥の妖怪であることを知っておられる方も多く、実際に筆者の友人である奈良出身の美容師の方は、子どもの頃、誰もいない畦道でいきなり砂が降ってきた経験があるそうです。

 

 柳田先生の『妖怪名彙』におけるスナカケババの記述は、医学博士であった澤田四郎先生が1931年に発表した『大和譚』の記述を元にしているようです。短い文章ですので全文を引いてみましょう。

 

お化けのうちに、スナカケババというものあり。人淋しき森のかげ、神社のかげを通れば、砂をバラバラふりかけて、おどろかすというも、その姿を見たる人なし

(澤田四郎『大和譚』)

 

 柳田先生もおっしゃっているように、誰も姿を見たことがないのに、何故「婆」が砂を撒く主体として措定されているのかが気になるところです。実際に、スナケババと類似の怪異は多いのですが、それらの怪異において、砂を撒く主体は婆ではありません。たとえば、同じ奈良県内でも、天理市の付近では、スナカケババではなく、砂かけ坊主なる名前の妖怪が伝わっていると天理市の民俗誌『天理市史』にあります。ここでは砂を掛けて来るモノの正体は坊主が想定されているようです。佐渡のあたりでは、砂撒狸といって「川砂を身にまぶした狸が木に登り、身体を震わせて樹上から砂を落とす」という非常に可愛らしい話が伝わっています。徳島の方に伝わる砂ふらしも、やはり狸が人に砂をかけ、方向感覚を惑わせて水辺に落とそうとする妖怪とされており、狸は「砂を降らせる怪異」の主体としてかなり人気があるようです。また、新潟県三条市の方では、砂撒鼬といって、砂撒きの正体はイタチとされています。

 

 ただ、スナカケババにしろ、砂撒狸にしろ、結局は「樹上から砂が降ってくる」という怪異とも呼べない現象に過ぎません。木の上から砂が降ってくること自体は特にありえないことでない(黄砂の影響で樹上に砂がたまっていたのかもしれませんし、身体に砂をつけた鳥が頭上を飛び去った際、その砂が落ちてきたのかもしれません。実際、砂撒狸の「川砂を身にまぶした狸が木に登り、身体を震わせて樹上から砂を落とした」という説明もそれなりに合理的です)ので、これらの怪異の面白いところはそれぞれの地域によって、想定されている「怪異を起こした主体」が違うところです。

 

 実際、狸がその身をぶるぶると震わせ、身体についた砂を周囲にばら撒くことはあるのでしょうし、イタチが後ろ足で砂を蹴って掛けてくることもあるのでしょう。そう考えると、怪異の正体として婆(もしくは坊主)が想定されている奈良県はかなり異色といえます。なぜかつての奈良県民の方々は、怪異の正体を婆としたのでしょうか。

 

 奈良県廣瀬大社では、「御田植祭」という祭りがあり、通称「砂かけ祭り」と呼ばれているそうです。「砂かけ祭り」は雨乞いの神事で、雨に見立てた砂を掛け合うことで、五穀豊穣と降雨を願います。自称「都市伝説マスター」の山口敏太郎氏は、この神事において、「砂かけ婆だ!」と囃し立てる地域があることから、妖怪としてのスナカケババの伝承に繋がっていったのではないか、とおっしゃっていますが、結局その説明でも「何故婆なのか」はわかりません。またスナカケババの伝承が先行して存在しており、その影響で、「砂かけ婆だ!」と囃し立てる習慣が生まれた可能性もあり得ます。

 

 さて、ここからは文献や現地調査に基づいた記述ではなく、単なる筆者の解釈になります。なぜスナカケババは婆なのでしょうか。筆者としては、恐らく、奈良県でスナカケババの伝承が生まれた地域において、かなり特徴的なおばあさんがいらしたのではないか、と考えています。たとえば、現代社会においても、地域にそういう個性的なおじいさんやおばあさんは多数いらっしゃいます。筆者の実家の近くにも、子どもの自転車を見かけたら、軒並みキリでタイヤに穴を開けてパンクさせていくおじいさんがいらっしゃいました。そういう方がいると、特に子ども達は何かしらの変事が起きた時、何でもそうした方のせいにしがちです。たとえば自転車がパンクさせられていたのであれば、前科があるおじいさんを疑ってしまうのは仕方のないことですが、全く関係のない事件(たとえば女の子のリコーダーがなくなったとか)まで、そのおじいさんの仕業と考えている友人もいました。このように、スナカケババの伝承地付近にも、悪戯好きで個性的なおばあさんがいらしたのかもしれません。そして、何らかの理由で樹上から砂が落ちて来るという現象が生じた時、誰ともなしに「こんな意味の分からん悪戯をするのはあの〇〇ばあさんに違いない」という噂が立ったのではないでしょうか。しかし実際は、樹上から砂が降ってくるなどということは、誰かが作為的に行わなかったとしても、特にありえないことではない、というのは前述した通りです。実際は自然現象か、鳥獣の仕業でしょうから、婆が犯人という結論ありきの前提がなされている以上、姿を見た者が現れるはずがないのです。そして、この前提がますます怪異性を際立たせます。「あのばあさんの仕業に違いない。なのにそのばあさんがどこにもいないなんて…」と。そして、確証のないままに語られた「婆の仕業」という部分だけが残り、スナカケババという妖怪が誕生したのではないでしょうか

 

 もちろんこれは筆者の解釈であり、一切の確証はありません。スナカケババの正体が婆として想定されている理由をそれなりに合理的に説明できるだけであり、間違っている可能性は大いにありうるでしょう。しかし、結論ありきの前提というものこそが怪異を生み出してしまうことは紛れもない事実です。「見間違えということはありえない」「私が記憶違いを起こすなんてありえない」「こんな山奥に人いるはずがない」「犯人はあいつに決まっている」…そんな風に結論ありきの前提が先行すると、ただの見間違えや記憶違いも「ありえない」怪異になってしまうわけです。しかし、本当に「ありえないこと」なのであれば、起こるはずがないのですから、起こっている以上はあなたの想定するその前提が間違っているのかもしれません。